1年の終わりが近づくと、年の瀬に向けて仕事の追い込みにブラックフライデー・年末セール、大掃除など、一気に慌ただしくなりますよね。
そうした師走の時期に毎年開催されているのが、ノーベル賞の授賞式。日常生活へどんな影響があるのかは普段なかなか意識しずらいものですが、先駆者たちのさまざまな功績と日々の暮らしとの関係性を考えさせられる貴重な機会ですよね。
例年、10月上旬に受賞者が決まったあと、ノーベル賞創設の遺言を残したアルフレッド・ノーベルの命日、12月10日に授賞式が開催されています。
今回は、2017年にノーベル文学賞を受賞した日本出身の英国人作家、カズオ・イシグロ氏の作品をご紹介します。
カズオ・イシグロ氏は1954年に長崎で生まれ、その後1960年に父親の仕事の都合で渡英した後、1983年に英国籍を取得。1960年代といえばまだ世界中で戦後独特の余韻も残っていたはずです。敗戦国で原爆投下もされた日本の長崎出身という出自が、現地のイギリス人にとってどのような印象を与えたのだろうか、などと思い巡らしもするのですが、ともあれカズオ・イシグロ氏はそのままイギリス人として今に至ります。
本作『クララとお日さま』は、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した後に出版された小説の第一作。全体に温かみと美しさが漂う作品です。
こんな方にオススメ
- AIについての小説が読みたい
- ノーベル文学賞を受賞した作家の作品に触れたい
- AIと共生する世界や、人間にしかできないことが何なのかに関心がある
本作に登場するキーワード
まずは本作を読み解くにあたって、押さえておきたいキーワードを取り上げましょう。
AF
お日さまの光を栄養源とする、人工親友(Artificial Friend)を意味します。AFというのは本作オリジナルの用語ですが、我々の現代社会における、人工知能(AI:Artificial Intelligence)を人間の姿で具現化したものと捉えてよいでしょう。
生身の人間ではなく、極めて精巧に作られたロボットです。
クララ
本作は、一貫してクララの視点で物語が進んでいきます。クララはAFです。物語は、クララがAF専門店で誰かに購入してもらうことを待つところから始まります。
お日さまが送る特別の栄養
クララがお店に並んでいたある日、ウィンドーからよく目にしていた物乞いの人と、その連れの犬が息絶えているところを目撃します。しかし、翌朝、クララは不思議な場面に遭遇します。
お日さまが明るく射し込むなか、なんと物乞いの人と連れの犬がともに生き返っているのです。このエピソードは以降、折に触れてクララの決意に影響を与えます。
向上処置
クララが一緒に暮らすことになるジョジーは向上処置を受けました。ただ、この向上処置を受けると健康上の弊害があるようで…。ジョジー家で開催された、向上処置を受けた子どもたちの交流会では、母親たちが抱く期待と不安、思春期のただ中にある子どもたちの心の揺れなどが見事に描写されています。
ジョジーとリックの関係
病弱のジョジーは、幼なじみのリックと互いに惹かれ合い、将来の計画をたてています。ジョジーは向上処置を受けましたが、リックは向上処置を受けていません。二人の関係性が結末に向けてどのように変化していくのか、注目です。
クーティングズ・マシン
クララはまだお店にいたとき、ひどい汚染をまき散らすクーティングズ・マシンと出会います。クーティングズ・マシンはたくさんの煙を吐き出し、お日さまの光を遮ってしまいます。名前の由来は…、原書の英語で読んだ方は「ああ、なるほど!」とすぐ気が付くかもしれません。
肖像画
母親クリシーに連れられて、ジョジーは画家のカパルディさんのところへ定期的にでかけます。肖像画を完成させることが目的です。次の疑問を浮かべながら読むと、本作の登場人物たちの心の動きや物語の核心に迫ることができることでしょう。
- なぜ、母親はジョジーの肖像画を作ることが重要だと思っているのか?
- どんな肖像画ができあがるのか?
優れた文章表現
等身大の子どもたちが描かれる
ジョジーは14歳。多くの方が実体験を伴って理解できると思いますが、とても多感な時期です。作者は、観察力が際立って優れているクララの目を通して、その矛盾を抱えながらも純粋な内面を慎重に描いています。
ときには、内心で思っていることと異なることを誰かに話すこともあるでしょう。処世術を覚え始める時期なのかもしれません。こうした心の揺れは、向上処置を受けた子どもたちの交流会の描写で感じ取ることができます。
静と動を使い分けた文章表現
各場面の静けさや騒がしさを文章のみで表す手腕も注目に値します。ある場面では、静謐さや神々しさの中で登場人物が佇む情景が目に浮かびます。他のある場面では、周囲の混雑に巻き込まれて喧噪のただ中にあり、錯綜した状況が手に取るように伝わってきます。
場面に合わせて、読み手の想像する世界に視覚・聴覚ともに彩りを加える手法は、さすがノーベル文学賞受賞作家だなと感心してしまいました。
複数の問題提起を有している
本作で描かれている世界はあくまでフィクションですが、我々の現代社会におけるさまざまな問題を比喩的に表現しています。
たとえば、昨今、世間に広く信じられている「AIに仕事を奪われる不安」や「AIが人間を超越した存在になり反乱を起こす可能性」という観点から論じることが可能でしょう。「環境破壊」や「教育格差」などのテーマを、本作を通じて取り上げることも可能です。
私が本作を読みながら何度も考えさせられたテーマは、「AIは自己犠牲の精神を持つか」です。クララはAFとして、病弱のジョジーとの友情を育み、献身的に支えます。後半では、自らの生命を危険に陥れるような自己犠牲さえも計画します。
生身の人間だったら、
本当にこれほどの犠牲を厭わず行動に移すだろうか?
生身の人間でないAFだからこそ実行できるとして、
AIの場合は自己犠牲の精神が生まれるのだろうか?
これらは今後も考えていきたい点です。ふだん小説に触れる機会のない方でも、現代が抱える問題を捉え直すきっかけとして得るものの多い小説です。ぜひお読みください!
関連書籍
- カズオ・イシグロ(著)、土屋政雄(翻訳)『わたしを離さないで』(早川書房):映画化もされたことから、カズオ・イシグロ作品の中でも群を抜いて有名ではないかと思います。私自身は本作『わたしを離さないで』を先に知っていたため、AFの正体はもしかして…などどあれこれ想像しながら読み進めてしまいました。
- ハン・ガン(著)、川口恵子(編集)、きむふな(翻訳)『菜食主義者(新しい韓国の文学 1)』(cuon):2024年には、カズオ・イシグロ氏と同じくアジア系にルーツを持つ女性のハン・ガン(韓江)氏がノーベル文学賞を受賞しました!ハン・ガン氏の代表作といえば『菜食主義者』。本作は、2016年に世界的に権威のあるブッカー賞を受賞しました。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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