日本は多神教の国といわれています。日本書紀や古事記における古代の神々の神話もそうですが、21世紀の現代でもさまざまな場面で神様が宿っているという発想は広く浸透していますよね。山の神様、海の神様、土地・家の神様などなど。「モノを大切にしましょう」というありきたりの言葉の中にも、そこに神様が宿っている可能性が包含されています。
さて、多神教と言われてまず最初に思い浮かぶのは、ギリシャ神話。神々の物語は、日本人にもよく知られていますよね。が、多神教が存在するのは、実はギリシャだけではありません。たとえば、メキシコで500年前まで栄華を誇っていたアステカ王国です。
ということで、今回は、滅亡したアステカ王国における神様への信仰を一つの軸としながら展開する、ノワール小説(犯罪小説、クライムノベル)をご紹介します。
本作『テスカトリポカ』(KADOKAWA)は、第165回直木賞と第34回山本周五郎賞のW受賞作品です。なんとこの快挙は、2004年に熊谷達也『邂逅の森』(文藝春秋)がW受賞して以来、17年ぶりだとか!その後は永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』(新潮社)がW受賞をしていますが、いやはやスゴイ。
私はノワール小説は苦手で普段手に取らないのですが、この作品はとにかくスゴかった。本当にスゴかった。戦々恐々としながらもページをめくる手を止められず、物語の世界にどっぷりとハマってしまいました。
本作品はたいへん暴力的な内容を含む作品です。が、その圧倒的な暴力性も含めて、優れた作品であると私は考えています。できれば多くの方の目に触れていただきたい小説です。
ただ、あなたが以下のキーワードにもし強い抵抗をお感じになるようでしたら、本小説を読むにあたって慎重になった方がよいかもしれません。ご判断はお任せします。本記事は、すべての方が安心して閲覧できるよう配慮のうえ執筆されています。
- 麻薬密売
- 臓器売買
- 人身供犠
- 拷問、殺人
こんな方にオススメ
- ダークな世界の小説を読みたい方
- 緻密な調査の元に創作された小説が読みたい方
- 非日常の世界にどっぷり浸かりたい方
物語の構成と舞台
本作は大きく分けて5つの章に分けられています。
Ⅰ 顔と心臓
Ⅱ 麻薬密売人と医師
Ⅲ 断頭台
Ⅳ 夜と風
暦にない日
ルビのカタカナを読んでお分かりのように、この作品では日本以外の国の言葉が頻繁に登場します。
一つは、スペイン語。これは、アステカ王国滅亡後、今につながるメキシコでの公用語がスペイン語であることが関係しています。もう一つは、ナワトル語。アステカのインディへナ(先住民)で使われている言語です。
と、ここまで聞くとメキシコを舞台にした物語のように感じられますが、半分はそうであり、半分は違います。この長編小説の舞台は、メキシコからアルゼンチン、インドネシア、そして日本・神奈川県川崎市へと移動していくのです。
小説の視点も頻繁に変わります。この人が主人公かな?と思っていたら別の登場人物の視点になり場面が変わることもしばしば。そして、たくさんの人物が亡くなります。ただ、亡くなっていくどの人物においても、その人生に語り尽くせないほどの深みがあることを感じさせます。名もなき脇役など存在しないかのように。
一時はページをめくる度に人が亡くなるので恐る恐る読み進めていましたが、登場人物一人一人の個性を解像度高く言語化している点がとても素晴らしく、最後まで読み切ってしまいました。読み切ったことに、とても満足しています。素晴らしかった。
頻繁に登場する車両や銃器は、メーカー名および商品名といった固有名詞を逐一はっきりと示してあります。舞台となる地域も実際に存在する場所で、作品のなかで繰り広げられる世界にリアリティを与えています。
こうした点が、単にインパクトだけを求めるアクション系、サスペンス系、ノワール系との違いではと思います。
物語中盤から主要キャラクターとなる登場人物を少し列挙してみましょう。ここにあげたすべての人物が重大な犯罪に関与します。そのほとんどが残虐な嗜癖を持つ問題人物ですが、そうでないキャラクターもいるにはいます。怪しげなコードネームが、物語の異常性を高めているようにも感じます。読み進めるうえで、読み手にも覚悟や緊張感を求められる作品といえるでしょう。
<主要な登場人物のコードネーム>
- 調理師
- 蜘蛛
- 奇人
- スクラップ
- 樽
- 陶器
- 電気ドリル
- 灰
- 女呪術師
- 断頭台
「テスカトリポカ」とバルミロ
さて、本作タイトルにもなっている「テスカトリポカ」。これは、アステカ王国におけるもっとも偉大な神様の名前です。「テスカトリポカ」を示す呼び方は複数あるのですが、なかでも強烈なのは「われらは彼の奴隷(ティトラカワン)」という呼び方。これは、神に服従を示す人間側の呼びかけがそのまま神の名になってしまうほどに怖ろしいということなのです。
新しい五十二年の開始を祝う人々が、神官と奴隷の姿に気づき、神の名をおごそかに口にしはじめた。われらは彼の奴隷、夜と風、双方の敵、どれも同じ神を指していた。永遠の若さを生き、すべての闇を映しだして支配する、煙を吐く鏡。
引用元:佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)
そして、「テスカトリポカ」を日本語に翻訳すると「煙を吐く鏡」。なぜ鏡が怖ろしいの?という不思議さを胸に抱きつつ読み進めると、終盤でその謎が解明されることでしょう。そして、52年周期で繰り返される歴史とこの小説。ちょっと鳥肌たっちゃいました…。
祭りの際には、テスカトリポカにいけにえの心臓と腕が捧げられます。そんな怖ろしい神様に揺るぎない信仰を捧げているのが、「調理師(エル・コシネーロ)」ことバルミロ・カサソラ。「麻薬密売人(ナルコ)」として、コカインをはじめとした麻薬売買のカルテル幹部になり、「粉(エル・ポルボ)」との通称で人々に恐怖を与えます。
このバルミロが全編を通した登場シーンが最も多いのではと思います。非常に残忍な拷問を行う極めて異常な反社会的人物なのですが、読み終わったあと再び会いたいと思ったのは、このバルミロなんです。不思議なものです。どの人物も頭のなかで実写化できるほど人物描写が優れている本作ですが、バルミロについては顔の造形までリアルに想像できるくらい、主要な人物として登場し続けます。
私は書籍に記された参考文献を片っ端から読書リストに記録するという奇特な習慣を持っているのですが、そんななかで気づいたのはバルミロの名前に由来がありそうだということ。本記事の関連書籍に手少し触れましたのでご参考までに。
このバルミロは、後に第Ⅱ章「麻薬密売人と医師(ナルコ・イ・メディコ)」で出会う臓器ブローカーの日本人、蜘蛛(ラバ・ラバ)と共同で臓器ビジネスを立ち上げていきます。そんななかで邂逅する土方コシモ(土方小霜)がおそらく本来の主人公。バルミロとコシモは親子に近い関係性を育んでゆきます。
作品に対する評価
さて、本作は麻薬に臓器売買、拷問シーンなど青少年に問題あり(ただし、意外にも性にまつわる描写はほぼゼロ)な作品です。が、しかし、直木賞を受賞するという栄誉に浴しました。当時の選考では、受賞作にするか否かで白熱の議論がわき上がったようです。
「受賞作にするかで1時間以上の白熱した議論になりました。反対する人はあまりに暴力シーンが多いし、子どもの臓器売買という部分が読む人に嫌悪をもたらすのではないかと。直木賞という賞を与えて世に送り出しても良いものか。その是非について、様々な意見が上がりました」と議論の詳細を明かした上で「『こんな描写を文学として許して良いのか』『文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか』といった意見があった一方、『描かれたことは現実世界のこと。目を背けてよいのか』との意見も。とても根本的で深い論争ができました。これだけスケールの大きな小説を受賞作にしないのはあまりにも惜しいという結論になりました」と続けた。
さらには「実は男女の票が分かれて…。女性の選考委員が非常に熱烈に支持しまして、熱弁を振るいました。男性の方が残酷で嫌だという声が多かったが、女性は嫌悪を持たず、乾いた描写ということで一致しました」とも明かした。
引用元:史上2人目の直木賞&山本賞W受賞の佐藤究さん「テスカトリポカ」とは…選考委員も1時間激論の超問題作の魅力(2021年7月17日 8時0分スポーツ報知)
直木賞選考にあたっての各委員の選評はこちらのサイトが参考になるでしょう。
が、選考委員のひとり、宮部みゆき氏が選考の場で語ったことばが下記のとおり文庫版の帯に掲載されているように、まさしくこの作品は混沌とした闇に輝く太陽たりえると私は思います。
第165回直木賞受賞作
「直木賞の長い歴史のなかに燦然と輝く黒い太陽」
宮部みゆき氏(選考委員)
残酷なシーンでは多大なインパクトを与えていますが、筆致は状況を淡々と記述するにとどめており、感情面で読み手を過剰に誘導しようという意図はあまり感じられません。逆にいうと、エンターテインメントを最重要としている訳ではないのだろうと感じさせます。
というのも、作者の佐藤究氏はもともとエンタメ小説というより純文学出身の方。単に読み手を楽しませたり驚かせたりするだけでなく、文章表現の深みに誘い、世の中の本質を問いかけているような気がするのです。
本作で取り扱うテーマは、すでに述べてきたダークな世界だけではありません。滅亡した帝国の歴史、外国につながる子ども、少年院、児童虐待など、反社会的勢力が入り込む余地があることを浮き彫りにしています。
こうした幅広い要素を含みながらも、丁寧な調査の元に緻密な構成で、冷静な筆致ながらも熱量高く書き上げられており、脱帽するばかりです。是非、手に取って読んでみてください。
作中で引用される新約聖書の一節
物語終盤、コシモの師匠である「陶器(ラ・セラミカ)」が弟子に告げる、新約聖書「マタイによる福音書」の9章13節。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
引用元:佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)
これについては、以下の解説がこの場面に対する理解を深めてくれることでしょう。
「マタイによる福音書」は、伝統的に新約聖書の巻頭に収められています。私の部屋にも2冊の新約聖書が書棚に並んでおりますが、いずれもマタイによる福音書は新約聖書の最初に書かれています。つまり、上記の一節は新約聖書を手に取った人々がページをめくる中で、早々に目にすることができる箇所だったといえます。
本書では主にアステカの神々についての記述が多く、インディヘナ(先住民)のキリスト教(カトリック:カトリコ)に対する抵抗感が描かれていました。そんな中で唯一引用されるこの一節が、物語に大きな影響を与えます。
どのような状況で発されたイエスの言葉が登場人物たちの心に響いたのかを想像してみると、よりこの物語の魅力が増すことでしょう。
関連書籍
- ラス・カサス(著)、染田秀藤(訳)『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波書店):おそらく、バルミロの名前はこちらの作者バルトロメ・デ・ラス・カサスから来ているのでしょう。バルトロメ・デ・ラス・カサスは、アステカ侵略の残忍性を告発したカトリック司祭です。
- 芝崎みゆき『古代マヤ・アステカ不可思議大全』(草思社):古代マヤ・アステカ文明を可愛らしいイラストで分かりやすく解説する本です。マヤ王国、アステカ王国は敷居が高い…と思っている方にも、その歴史が身近に感じられることでしょう。
- 磯部涼『ルポ川崎』(新潮社):物語の舞台となった川崎のルポルタージュ。物語の舞台の一つ、川崎を理解するうえで役に立つ一冊です。
- 熊谷達也『邂逅の森』(文藝春秋):山本周五郎賞が始まって以来、山本周五郎賞と直木賞とのW受賞を初めて果たしたのが本作です。秋田県に生まれたマタギの波乱の人生を描きます。
- ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社):中南米、特にラテンアメリカ文学に酔いしれたい方は、こちらもぜひ挑戦ください!待望の文庫化で手に取りやすくなりましたね。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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