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【書評】差別を多角的な視点から捉えていく評論!『「差別はいけない」とみんないうけれど。』を読む

【書評】綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社) 書評

コロナ禍では、ジョージ・フロイド氏の死亡事件を契機に、全米で"Black Lives Matter"運動が起こりました。かつての奴隷制を想起させる人物の銅像を壊すといった反差別運動と平行して、アジア人差別によって日本人が地下鉄で暴行を受けた事件が報道されたり、白人至上主義者の存在感が増していることをも示すニュースが流れていたことは、記憶に新しいのではと思います。

これら事件を目にして、「日本は平和だなぁ。日本には差別は存在しない」と考える方もいることでしょう。しかし、黒人や白人といった肌の色だけでなく、女性や在日朝鮮人、外国人労働者に対する差別については、日本でもよく見聞きすることでしょう。

今回ご紹介するのは、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』と題して、数々の知識人による知見や指摘を引用しながら、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫り、差別・反差別の本質を明らかにしようとする一冊です。

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こんな方にオススメ

  • 差別問題に関してモヤモヤ感がある方
  • 「差別は良くない」と思う方
  • 「差別される側だけでなく、差別する側の事情も理解するべきだ」と考える方
  • 「ポリコレがうっとうしい」と感じている方

本書のタイトルに込められた意味

本書のタイトルは『「差別はいけない」とみんないうけれど。』です。このタイトルだけを読むと、著者の差別問題に対する立場が不明瞭で、特に「けれど」の部分に居心地の悪さを覚える方がいるかもしれません。

冒頭で述べたとおり、本書は、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫っていくという意味で「けれど」という表現を用いています。

しかし、以下で語られる「もう一つの意味」から、本書で著者が「けれど」と題した強い思いが垣間見えることでしょう。

「セクハラ」や「ヘイトスピーチ」問題がテレビで大々的に取り上げられ、インターネットで炎上するのは、いまや見慣れた光景となっている。まさにみんなが差別を批判できる、「ポリティカル・コレクトネス」の時代が到来している。本書は、みんなが差別を批判できる時代を基本的には望ましいとしながらも、いっぽうでいくつかの問題点があると考えている。これが、本書のタイトル『「差別はいけない」とみんないうけれど・・・。』に込められたもうひとつの意味である。

引用元:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)

アイデンティティとシティズンシップ

まえがきに示されているように、本書では「アイデンティティ」と「シティズンシップ」という2つの論理を重視して議論を進めていきます。

「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」という有名な言葉がある。差別は差別された者にしかわからない、という意味だ。いくら想像力を働かせたとしても、踏まれた他者の痛みは直接体験できない。だから、当事者(被差別者)以外の人間が批判の声をあげたとしても、当事者にたいして引け目を感じざるをえないはずだ。痛みを直接体験できない人間は正しく差別=足の痛みを理解しているのか、みずからに問いかけ続けるしかないからである。しかし、ここ数年の炎上騒動において状況はあきらかに異なっている。ひとびとは、自分は本当に差別をしていないか、と省みることなく、差別者を批判している。ここに、差別を批判するロジックが「アイデンティティ」から「シティズンシップ」にかわったことが見てとれる。

引用元:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)

ざっくり言えば、「アイデンティティ」の論理では「差別対象となっている特定のアイデンティティを持つ当事者のみが、差別を批判できる」、「シティズンシップ」の論理では「アイデンティティの有無に関係なく、非当事者を含めたみんなが差別を批判できる」ということです。

これらの特徴を簡単にまとめると下表となります。

反差別のロジック政治思想主体他集団との関係集団内差別を批判できるのは
アイデンティティ民主主義集団差異化同質性被差別者(特定のアイデンティティ)
シティズンシップ自由主義個人同化多様性みんな(市民たる自覚あるもの)
引用元:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)

差別問題に声をあげるのは、現代では当事者だけではありません。たとえば、東京五輪の開催直前、五輪組織委員会の会長が女性蔑視を感じさせる失言をした際には、国内・国外ともに世間を大きく騒がせました。

あの時、当事者の女性だけでなく男性も抗議活動に参加していたことは記憶に新しいです。自分が何者であれ、社会全体としての秩序を重んじて差別を批判する、というのが一般的になったといえるでしょう。

日本国憲法におけるpeopleの訳

本書では天皇制にも焦点を当てて議論を進めていきます。なかでも、象徴天皇制を規定した日本国憲法第一条をとりあげた箇所がたいへん興味深かったです。

日本国憲法はGHQ作成による草案を元として成立したことは広く知られていますが、第一条は下記のとおりとなっています。

第一条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

引用元:e-Gov法令検索:日本国憲法(昭和二十一年憲法)第一章 天皇 第一条

これらの記述は第16代アメリカ合衆国大統領のリンカーンによる、「人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」に由来しており、実際、GHQによる草案でも people という語が用いられています。

CHAPTER I
The Emperor

Article I. The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.

引用元:国立国会図書館―National Diet Library:Constitution of Japan

したがって、リンカーンの著名な言葉と同じように、日本語に訳す際には people を「国民」ではなく「人民」とするべきではないか、という指摘があるわけです。しかし、こうした背景にもかかわらず、上述のとおり第一条では「国民」という訳語が割り当てられています。

英文を見ればわかるように、象徴天皇の地位は「人民の意志= the will of the people」によって定められるはずである。しかし、「万世一系」の天皇制が、旧植民地から渡ってきた朝鮮人・中国人といった在日外国人をふくむ「日本人民」の「象徴」であるというのはあきらかな矛盾だろう。憲法一条から八条までの象徴天皇制にかんする規定は「people =国民」という誤訳(いいかえれば「改釈」)を前提にしなければ、成り立たないのである。

引用元:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)

なおかつ興味深いのが、GHQによる草案を邦訳して定められた第一条について、これをさらに英訳し直したものが、GHQによる草案と比較して微妙に表現を変更してある点です。他民族国家であるアメリカの価値観に基づく「people」と、万世一系の天皇制を礎とする日本の価値観に適用される「people」。こうした違いに思考を巡らすのも有意義なことでしょう。

終わりに

ほかにも、差別的な言説によく見られる「言い落とし」や「黙説法」といった手法や、「差別的な言説はしばしばその差異化ロジックに合理性を帯びている」という指摘など、全編を通して考えさせられる記述が多かったです。

特に、江原由美子『女性解放という思想』(頸草書房)を引用しつつ論じられた下記が印象に残りました。

しかし、驚くべきことは、いまや「能力」や「身体的条件」等の測定が困難でなくなり、明示的になりつつある状況になっているにもかかわらず、「合理的」であり、「効率的」であるという理由から、いまだに「性別」や「人種」が「能力」や「身体的条件」の指標として利用されていることなのである。
興味深いことに、江原は「差別の機能が何であれ、それが被差別者の特性や固有性とはほとんど無関係であ・・・・・」り、「「差別」は「差異」などに根拠を持ってはいない」と指摘している。

引用元:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)

大学入試で男女の合格基準点が異なる事実が発覚し、社会的に大きな批判を受けた某医科大学の事件は記憶に新しいのではありませんか?本書は、中立的な立場を慎重に維持しながら差別問題について包括的に議論を進めていくという点で、どのような思想を持つ方にも満足できる一冊となることでしょう。

関連書籍

  • 江原由美子『増補 女性解放という思想』(筑摩書房):「女性解放」を論じることはなぜ難しいのか。今回の記事で紹介した『「差別はいけない」とみんないうけれど。』にはたくさんの書籍が引用されているのですが、最も「なるほど!」納得させられた引用文献がこちらの書籍です。ちくま学芸文庫の増補版をどうぞ。

  • 李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』(河出書房新社):排外主義が支配する日本における、在日韓国人への徹底的な差別。ヘイトスピーチ、外国人への生活保護廃止、そして抗争。ラストは衝撃です。何故そのような結末となったか?他の選択肢が介在する余地は無かったのか?読了後も考えざるを得ません。日本におけるさまざまな差別感情・ヘイトスピーチの実情を、客観的な分析を踏まえて明らかにしようとした素晴らしい一冊。構成、人物描写、アクション、いずれも著者の技量が濃縮されています。

最後までお読みいただき有り難うございました!


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