味方も敵も多い著者が語るメンタルコントロール術を記した『鋼のメンタル』(新潮社)を取り上げます。
著者の百田尚樹氏の代表作と言えば、大東亜戦争下の零戦搭乗員の物語『永遠の0』(講談社)など、ベストセラーをたくさん生み出し続けている作家です。そして、熱烈な支持者もいる一方で、その発言内容についてネット上で頻繁に炎上する、という印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか?
正直を言うと、私自身も百田氏の発言や、著作物の中の記述に疑問を感じる場面が過去にありました。だからこそ、そんな百田氏の心のうちが気になって、本書を読んでみたのです。
人間は意外と強い
本編は「打たれ強さ」をテーマに始まります。
実は人間の精神力は意外に強いというのが私の考えです。もし悪口を言われたくらいで、あるいは罵倒されたくらいで、立ち直れないような打撃を受けるなら、人類なんて何万年も前にとっくに滅んでいます。
引用元:百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮社)
私はこの文章を読んで、Natural High(ナチュラルハイ)というミュージックグループの「プロローグ」と言う曲を思い出しました。活動期間も短くご存じない方も多いと思うので、以下その歌詞をうたまっぷさんから引用します。
くだらない 言い訳で 自分をだました
引用元:うたまっぷ
もどかしい 日常は 終わりにしよう
現実に 酔いしれて 記憶は遠ざかる
人間は 意外と強くて困る
この曲は悲しい出来事があった後で前を向いて歩き出すという、まさに「プロローグ」を語る曲なのですが、若かかりし頃、私はこの歌詞に本当に共感したのです。
世の中には、辛い出来事に心を砕かれ、先の見えない闇の中をさまよいながら生きていらっしゃる方がいるでしょう。悲しみの淵にいる方を思うと、本当に心苦しいです。しかし、ここで意識したいのはすべての方が同じ状態に陥る訳ではないと言うことです。
自分自身の尊厳を傷つけられ失意の底に落ちても、大切な方の死に絶望的な気持ちになっても、幸せになる機会を二度と失うということではないのです。
したがって、「友達に嫌われたくない」「クビになったらどうしよう」という理由で身動きが取れなくなっている方がいましたら、是非「人間は意外と強い」という言葉を心に一歩踏み出してみてもらいたいと思います。
頭を下げるということ
次に、謝罪することについても取り上げてみたいと思います。著者は実生活でミスをすることも多く、また言い過ぎたと思ったときは素直に謝罪する、と書かれています。
他人に謝らない人というのはどういう人なのでしょうか。
すごく負けず嫌いの人のような気がします。そしてプライドが異常に高い。人に頭を下げると負けた気分になるのかもしれません。おそらくそれに耐えがたい屈辱を感じるのでしょう。
でも、私が出会ったそういう人の中で、「大物」だと感じた人はひとりもいません。むしろ非常にスケールが小さいというか、わずかなプライドを守るのに必死なのだということがありありとわかる人が多かったです。すぐにぺこぺこ謝る私もかなり小物感満載の人間ですが、自分の非を認めようとしない人は小さい人間にしか見えません。そういう人は当然、人望もありません。
引用元:百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮社)
これは私の実感とも近いのですが、「ありがとう」は言っても「ごめんなさい」が言えない大人は多いなぁ、と思います。そもそも「ありがとう」すら言えない方もいるのですが。特に、管理職の立場に就いていたりするとなおさら、そうした反省の言葉は気軽に口にできないと感じている方は多そうです。自分の能力に自信を持っておられるのだろうな、と感じさせてる方にもよく見受けられます。
しかし、私が尊敬できるのは、部下や子どもに対しても「ごめん」「悪かった」がスムーズに口に出せる人だよなぁ、と思うのですよね。恥ずかしさを隠して笑いながら言う方も結構いますが、これは止めた方がよいです。「あ、大して重要に考えていないんだ」と受け取られてしまいます。
以前、非を認める姿を一度も見たこともないエライ方がメールの中で「ありがとう」と書いているのを初めて見たことがあります。本心ではきっと恥じらいがあったのだろうなと想像したのですが、私はその「ありがとう」だけでとても温かな気持ちになったのです。「ありがとう」の力って素晴らしい!!
部下に慕われていない気がする…と言う方は、「ありがとう」「助かる」「ごめん」を意識してみると良いのかもしれません。
幸せの基準
幸せについても考えてみましょう。
人は自分がおかれている経済的な状況の価値を判断するのに、絶対的な数値で見るのではなく、周囲との比較で見ていることがわかったのです。また別の調べでは、人は生活満足度を「所得額」よりも「所得順位」で見ていることがわかっています。つまり人が金銭的な幸福を感じるのは、身近な人よりどれだけ多く稼いでいるかを確認できた時なのです。
引用元:百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮社)
出典は分からないのですが、これも感覚的にうなずける話です。ここでは経済的な状態について言及していますが、私が日々感じるのは「年齢」の比較で幸せを語ろうとする人が多いなぁ、ということです。
たとえば、「若いから何でもできるでしょう」「もう年だからさ、無理無理」「後は若い人たちの時代だから」と諦めにも似た言葉、よく聞きませんか?会社なんかだとよく聞くワードではないでしょうか。
20代の方は、40代~50代の方にこうした言葉をかけられた経験は多いと思います。しかし、私は80代の方が50代の方に同じ言葉を発しているのを見たことがありますし、私自身、大学4年生の時に大学1~2年生の後輩に同じ言葉をかけていました。(ちょっと年寄りじみていたかもしれない、と今更ながら反省しています…)
結論として、私たちは自分の身近にいる人たちとの比較の中で生きているということです。このことに気付いてから、私は自分の年齢や周りの人の年齢をいちいち話題にすることは止めました。あまり意味のない行動だと思ったからです。
結婚や仕事についても同様です。学生時代の同級生の現在に心がザワザワする方、実は結構多いんじゃないでしょうか?しかし、自分の人生は自分だけのものであり、相対的な価値を測ることができるものではありません。自分の優れているところも、劣っているところも、すべてまとめて受け入れることができるようになれば、これまでよりもきっと幸せな気持ちになるのではないかと思います。
へらへら笑いについて
百田氏は、いわゆる愛想笑いのことを「へらへら笑い」と呼び、次のように喝破します。
私はそういう時、編集者たちの笑いを見るのです。へらへら笑いか、そうでないかはじっと見ていればすぐにわかります。私は冗談を言うのが好きですが、その冗談にも強弱をつけます。すると人の話をきっちりと聞いている人は、リアクションが違います。面白いと思った冗談には笑いますが、そうでない冗談には笑いません。ところがへらへら笑いをする人は、何を言っても同じリアクションで笑い返すのです。そういう編集者には、こちらも真面目に話す気がしません。
引用元:百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮社)
この文章を読んだとき、ある街頭インタビューの情景が浮かびました。いつだったかさっぱり記憶にないのですが、おそらく10代前半のことです。私自身は若いが故にあまりよく知らなかったのですが、当時芸能界で大変著名な方が無くなったようで、そのことについて街行く人々にコメントを求めるというものです。今でもよくありますよね。志村けんさんなど、その時代を代表する方が急死した時の出来事だったと記憶しています。
インタビューを受けた人は、「えー!!ウソー!信じられない!」「すっごくびっくり~!悲しいです」と薄く笑いながら、向けられたマイクに対して答えていました。
驚く気持ちは分かりますが、人が亡くなったと聞いた時の咄嗟の反応で笑顔がでると言うことに対して不謹慎とは思っていないようでした。インタビュアーに対して気を遣っていたのだと思いますが、これは適切な反応なのでしょうか?
どんな時も笑顔を大切にする人は素敵ですが、笑顔でしか応答できない人は、時に周りを不安にさせてしまいます。周囲に気を遣うことを第一に考えてしまいがちな方は、あなた自身の素晴らしさを活かして素直な面をのぞかせても良いのかもしれません。
プライドが高い人があがる
最後に、プレゼンなど人前で話す場面であがってしまって失敗ばかり、という方にはこちらが参考になります。ここでは百田氏のテクニックも少し書かれています。
あがる原因は至極簡単なことです。「人にかっこよく思われたい!」ーーそれだけです。
引用元:百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮社)
あがり症の方の支援をしている佐藤健陽(たけはる)氏が、アドラー心理学と結びつけて同様のこと、つまり「プライドが高かったり、失敗したくないと言う気持ちが強いとあがる」と述べています。私は佐藤氏の講演を拝聴したことがあります。
いわく、佐藤氏自身も大層なあがり症だったようで、たくさんのご苦労があったようです。(ここで私が使っている「あがり症」というのはいわゆる「赤面恐怖症」でして、精神疾患の一部です。「私、プレゼンであがっちゃうんだよね~」というレベルを超えて、失神してしまったり呼吸困難や嘔吐を引き起こす状態です)
あがるという状態のMAXが「赤面恐怖症」であるとすると、そこまでではないけれど「人前で話す時に緊張してうまく喋れない」という方の中には、「すごい奴だと思われたい」といった思いが潜んでいるはずです。
実は私もそのタイプでした。「どんな目で見られるんだろう・・」という自意識過剰さがあったのです。
しかし、なんと!最近ではほぼこの悩みは解消しつつあります。
ある時、気が付いたのです。「私だけが聴衆に見られるのって理不尽じゃないか?逆に、私が聴衆をじろじろ見てみよう!」と。発想の転換ですが、自分ではなく他人に意識を向けることであがりにくくなったのは、自意識過剰さが薄れたからではないかと思います。是非、お試しください。
関連書籍
- 百田尚樹『永遠の0』(講談社):百田氏の著書で最も有名な小説ではと思います。映画化もされました。
- 佐藤健陽『あがり症は治さなくていい 大切なことはアドラーと森田正馬に教えてもらった』(旬報社):重度のあがり症に苦しんだ佐藤健陽氏の著書。
最後まで読んでいただき有難うございました!
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