夏には高温多湿となるニッポン。毎年夏になると、連日40度近い猛暑が続きますよね。花火、甲子園など夏の風物詩が楽しみな季節でもあり、子どもの思い出作りに奔走する親御さんもたくさんいらっしゃることでしょう。
しかし、忘れてはならない「終戦」という大きなテーマがあります。今回は、少し視点を過去に移して太平洋戦争について考えてみましょう。今回ご紹介するのは、鴻上尚史氏の『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)。新書で出版されたのちコミック化もされており、世間の関心の高さがうかがえる内容となっています。
こんな方にオススメ
- 特攻について知りたい
- 過去の戦争について知りたい
- 平和な未来を考えたい
特攻に9回出撃して9回生還
新聞の広告で「何度も特攻命令を受けながら生還」という宣伝文を読んだとき、まず最初に「あぁ、自分みたいに戦争を知らない世代にとっては興味深い題材の小説だなぁ」と思いました。きっと現実にはあり得ない。だからこその想像力で描かれた世界なのだと。少し美化されている感もありますが、『永遠の0』(講談社)がその典型ですね。
しかし、これは誤りでした。なんと本当に実在していたのです。
『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』では前半から中盤にかけて、高木俊朗氏(1908-1998)の残した『陸軍特別攻撃隊』(絶版)に準拠した記述が続くのですが、これが非常にリアルで切なく、理不尽さに苦悶する特攻隊員の姿がありありと甦るのです。
さらに、作家である著者の鴻上尚史氏が、本書のキャッチコピーでも言及されている、生還した元特攻隊員である佐々木友次氏にインタビュー取材しています。これにより、いよいよ現実にあった出来事なのだと実感させられるのです。
自分の存在が消される
「しかし、佐々木が帰ってきてよかった。今夜は生還祝いをやろう」村崎少尉が明るい声で全員を見た。
引用元:鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)
万朶隊のパイロットには、特別の食事が用意されていた。夕食の数に、佐々木を加えなければいけない。昨日の夜から佐々木の分はなかった。炊事に連絡して、用意してもらわないと、と浜崎曹長が言った。
佐々木は、その言葉で、自分の存在が消されていたことを実感した。
特別攻撃の任務にあたる万朶隊には、豪勢な食事と酒が振る舞われます。それは片道切符であるからこその大盤振る舞いなのです。まさに、死出の旅路です。そして、誤認も多かった戦果確認の結果、体当たりの報告がなされればその時点で「存在しない」ということになりました。
天皇に上聞した以上、佐々木は生きていては困る。後からでも、佐々木が特攻で死ねば、結果として嘘をついたことにならない。そのまま、佐々木は二階級特進することになる。上層部の意図ははっきりしていた。
引用元:鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)
実行はされませんでしたが、特別攻撃命令が出ながらも帰還した者に対しては、銃殺命令が下されるほどでした。死んでいるはずの人間は生きていてはいけない、という理屈ですね。「過去の報告事項に対する未来の改変」という状況に、『一九八四年 新訳版』(早川書房)における、「現在の報告事項に対する過去の改変」を彷彿とさせるものがありました。全体主義の恐ろしさを感じます。
特攻とは何だったのか
戦争を経験した世代が、高齢化によりどんどん少なくなっています。正直なところ、特攻どころか戦争も意識せざるを得ない時代を生きていない、私のような人間がどこまで特攻を語ってよいのか悩みます。
語るに際して意識すべき観点も様々です。政治的、人道的、経済的、軍事的、組織的、大衆的、享楽的……。特に、「英霊」「軍神」「玉砕」といった、美化したニュアンスを含む言葉を用いた背景として、非戦闘員である一般市民の軍事リテラシー普及の観点は押さえておかなければならないでしょう。
が、エリートである士官達は、岩本大尉もそうでしたが、技術論として特攻に反対する人が多かったのです。岩本大尉は、当時の士官エリートがそうであったように、祖国を愛し、熱烈な天皇崇拝者でした。ですが、それと、作戦として「無意味な」特攻をすることは別だったのです。
引用元:鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)
「愛国者だからこその特攻であった」という主張は必ずしも的を射たものではなく、乱暴な結論なのでしょう。組織のリーダーは、現実を正しく認識したうえで判断が下せなければ、最終的に大きな痛手を被るという教訓のような気もします。
なんにせよ、私たちがいま平和に暮らしているこの日本という国には、多くの未来ある若者の犠牲が払われたという過去があります。安らかなれ。
関連書籍
- 百田尚樹『永遠の0』(講談社):映画にもなりました。零戦パイロットが題材の小説です。
- ジョージ・オーウェル『一九八四年 新訳版』(早川書房):代表的なディストピア小説。全体主義への批判として読むとよいでしょう。
- 一ノ瀬俊也『飛行機の戦争 1914-1945 総力戦体制への道』(講談社):非戦闘員である日本国国民がどのように戦争を認識し、受け入れていったのかの学問的検証をしています。
最後まで読んでいただき有難うございました!
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