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【書評】他者理解への思索を深める知的な旅へ。「他者の靴を履く」を読む

【書評】ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋) 書評

2019年に、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)という本がベストセラーになりました。著者はブレイディみかこ氏です。この本に関する内容で、特に多くの人が口にしたのが、なんと同書にたった4ページしか登場しない「エンパシー」という言葉でした。

今回ご紹介する『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)のテーマは、すばりこの「エンパシー」。前著で反響を受けた「エンパシー」について、ブレイディみかこ氏本人が月刊誌「文學界」で2020年4月から2021年4月に連載した内容が書籍化されました。

本書、タイトルは英語の定型表現「誰かの靴を履いてみること(To put yourself in someone's shoes)」に由来しています。英語教育でおなじみの株式会社アルクさんが運営している「英辞郎 on the WEB」でも、例文付きでこのフレーズの意味を確認することができます。

実は、この「誰かの靴を履く」という表現自体が、エンパシーのなんたるかを明快に示しているのですよね。さまざまな形の格差が広がる現代を考えるうえで通勤のお供に読みたい本書を、カウンセリングの観点も含めてご紹介いたします。

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こんな方にオススメ

  • 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読み、ブレイディみかこ氏の他の著作も読んでみたいと思った方
  • カウンセラーの方
  • カウンセリングの勉強をしている方

エンパシー(empathy)とは?

まず、本書で語られる「エンパシー(empathy)」について、よく似た言葉である「シンパシー(sympathy)」と比較しながら考えてみましょう。

著者はオクスフォードの英英辞書を参照しながら、両者の違いを以下のように考察します。

(中略)つまり、シンパシーはかわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動であり、エンパシーは別にかわいそうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的な作業と言える。
 息子は学校で、「テロやEU離脱や広がる格差で人々の分断が進んでいるいま、エンパシーがとても大切です。世界に必要なのはエンパシーなのです」と教わったそうだ。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

この記述を読んで思ったのは、「エンパシー」というのはカウンセリング療法の一つ、米国の臨床心理学者カール・ロジャース氏が始めた来談者中心療法(クライアント中心療法)の基本概念に出てくる「共感」に近い考え方なのでは、ということです。

日本語では「エンパシー」と「シンパシー」のどちらも「共感」と訳されますが、上記の引用箇所を参考に考えてみると、「シンパシー」は「同感」と訳すのがより適切でしょう。

私がカウンセリングの基本を学んだ際には「『共感』と『同感』は全く別のモノだ」と何度も繰り返し指導されました。目の前の相談者の話を聴く時には、自分が相手と一体となり「同感」して一緒に怒りや悲しみに飲み込まれるのではなく、相手の立場だったらどうかと「共感」してその怒りや悲しみを理解することが重要だ、と。

以上の経験を元に、カウンセラーの観点で考えを深めることができた箇所を取り上げてみます。

自分を手離さない、それは中身のある人間なのか?

第5章「囚われず、手離さない」のなかで取り上げられている「自分を手離さない」という項では、私がカウンセリングの学びの中で受けた指導と同様の指摘が書かれていました。

 自分は自分。他者とは決して混ざらないということである。その上で他者が何を考えているかを想像・理解しようとするのだ。
 脳内の鏡に他者になった自分を映し出す(だから自分も知らないうちに他者と同じ靴を履いている。ひょっとすると同じ服を着て同じ髪型もしているかもしれない)というのではなく、他者との距離を保ちながら自分の靴を脱いで他者の靴を履いてみる。(中略)おそらくここで重要なのは、「自分を手離さない」ということだ。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

一方で、興味深いのはニーチェが『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)の「207 中身のない人間」に記した文章を受けての考察です。

 ニーチェは他者の考えや感情を知的に理解できる人、つまり他者を観察する能力を備えた人を「客観的な人間」と呼んだ。そして、「客観的な人間」は「中身のない人間」になり得る可能性があると書いている。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)
わたし
わたし

え、どういうこと…?

「客観的な人間」=「中身のない人間」になるかもしれない、ということ?

 (中略)ニーチェが選んだ言葉は、そこに本人の人格は存在しないことを強調するものだ。というよりも、自分自身を希薄化することが客観的に他者を知覚するーー客観的な精神を身に着けるーーための条件であるかのように読める。日本にも「フラットな見方」という表現があり、自分自身の考え方や経験による凸凹(つまり主観)を忘れてニュートラルな姿勢で物事を見ないと他者の理解は正確に得られないとされる。しかし、ニーチェはこのフラットさそれ自体に警鐘を鳴らしているようだ。つまり、人間がエンパシーを働かせてできるだけ正確に他者を理解しようとするときには、その準備として「自己を失う」(=フラットになる)ことが必要になり、それには大きな弊害が伴うというのだ。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

「自分を手離さない」ということは、自分と他者とを混ぜ合わせないということです。つまり、他者が自分に向かって混ざり合うことがないことを意味する一方、逆方向として、自分が他者に向かって混ざり合おうとする動きも抑制することを意味するでしょう。

この点において、ニーチェの指摘にはハッとさせられました。カウンセラーが相談者に向き合う時には「自分を手離さない」姿勢が重要であるとずっと考えてきたけれど、それがすべてではないのかもしれません。

現代社会での出来事とリンクして考える

最後に、近年日本で起きた事件や社会問題に対する考えを深める記述をご紹介します。著者は、1951年に渡辺一夫が発表したエッセイを紐解きながら次のように語ります。

 渡辺は言う。秩序を乱す人々の中には、その秩序の欠陥を他の人々より強く感じさせられていたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人がいるのだということを、現存の秩序が必要だと思っている人ほど肝に銘じておかねばならないのだと。なぜなら、「秩序を守ることを他人に要求する人々は、自らにとってありがたい・・・・・秩序であればこそ、正に、その改善・・進展・・とを志さねばならぬはず」だからだ。自らにとって必要なものであればあるほど、それが他者に与える影響をよく考え、改善の余地があることを謙虚に認識し、必要があれば変えていかないと秩序そのものがポシャるぞ、という、もっともなことを言っているのだ。ここでも、他者のことを考えることが実は自分のことを考えることなのだという事実が立ち上がってくる。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

私がこの本を読んでいた当時は、安倍元首相が襲撃されて旧統一教会と政治の関係が連日メディアを騒がせており、加害者が行動するに至った背景としての家庭事情がすでに明らかとなっていた頃でした。

ここで秩序=政治・法制度・現代社会と捉えると、なかなか興味深いものです。もちろん、秩序=旧統一教会として読み取ることも可能で、ここに宗教二世問題を見ることも可能でしょう。

また、パンデミック初期の報道で特によく耳にした、「コロナをうつしたら迷惑をかける」「新型コロナウィルスに罹患したことで迷惑をかけるとともに不快な思いにさせてしまった」といった日本人の発言についての議論も示唆に富んでいます。

「迷惑をかけたくない」という日本独自のコンセプトは、一見、他者を慮っているようで、そうでもないのだろう。人を煩わせたくないという感覚は、ここに書かれている通り、人にも煩わされたくないという心理の裏返しだからだ。
(中略)
 網の目のように広がる人と人の繋がりを想像し、人は一人で生きているわけではないということを知ることから生まれる罪悪感が「guilt」であるのと対照的に、「迷惑」は人間を他者から遮断させ、自己完結しなければならないと思わせる。前者は他者との目に見えぬ繋がりの認識に基づいているが、後者は他者と関わることを悪として、しないように気を付けている点で真逆と言ってもいい。

引用元:ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

迷惑をかけたくないと考える親ほど、ひきこもりの子どもについて周囲に相談できず家族内でどうにか解決しようとするのかもしれません。また、年老いた時には子どもの世話にも介護サービスの世話にもなりたくない、と考えるケースもあるのかもしれません。

感染者数が比較的落ち着いた状況でも、日本は他国と比べて街中でマスクを着用している人が多いですよね。「迷惑をかけたくない」というのは個人単位の自己責任をより強く意識させ、残念ながら「迷惑をかけられたくない」と同義でもあるのでしょう。

関連書籍

  • ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社):Yahoo!ニュース|本屋大賞2019ノンフィクション本大賞ほか各賞を受賞し、大変なベストセラーとなったノンフィクション。ブレイディみかこ氏の名が広く知られるようになった書籍といえるでしょう。続編の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』もあります。

  • 鴻上尚史、佐藤直樹『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社):鴻上氏の「世間」に対する考えは以前から共感できる点が多く、いつも興味深く読んでしまいます。今回、佐藤氏との対談内容は的を得ていて、自粛警察や忖度文化、感染者が世間に謝罪する現象etc…さまざま想いを巡らしました。対談形式なので話し言葉でサクサク読めるし、ページ数も少なめ。本をあまり読まない方にも手に取りやすい一冊です。

最後までお読みいただき有り難うございました!


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