新型コロナウィルス感染症の流行を経験して、世界は大きく変わりつつあります。今回は、朝日新聞での小説連載中にパンデミックを迎えた、中村文則氏の作品をご紹介します。
中村文則氏といえば、国内外で高い評価を受ける芥川賞作家。本作『カード師』は、全編を通して最後のページまで読み通すことで、ただあらすじを読むだけでは体験できない深い読後感を得ることができる作品です。
この記事では、おおまかなあらすじを踏まえたうえで、本作を読み解くキーワードをお伝えします。
あらすじ
占いを信じていない占い師は、客の相談にタロットを使い希望を与える助言を行う。違法カジノのディーラーとしても日々を過ごす主人公の彼は、ある組織から仕事を依頼され、得体の知れない資産家の顧問占い師になったのだがーー。
主人公は、悩める女性の相談者に親しみを込めた表情、言葉で対応します。
「市井さんの運勢は、今とてもいい流れの中にあります」
引用元:中村文則『カード師』(朝日新聞出版)
僕は言う。笑みをつくるため、頬に小さく力を入れる。
厭世観を抱きながら生きている占い師は、主にタロットを用います。
そして、違法カジノへ向かう途中で組織の英子氏に声をかけられ、運命の渦に巻き込まれていくのです。
「あなたは逃げられない」
引用元:中村文則『カード師』(朝日新聞出版)
彼女が笑みのまま言う。
「まだ逃がさないからね」
ギリシャ神話の神、ヘラが浮かぶ。夫である主神ゼウスの浮気相手やその子供達を、執拗に呪い攻撃した女神。
「冗談。……仕事の依頼。この男の」
彼女がスマートフォンの画面を見せる。カードの表を見せる仕草で。
「占いの顧問になって、聞き出したことを全部伝えて」
長方形の画面に現れている男を見ながら、また鼓動が乱れ始めた。
年齢はわからない。四十代にも、五十代にも見える。目に力がある。あり過ぎるくらいに。
この男はよくない。僕は思う。関わらない方がいい人間。
悪化していく日常
この英子氏の依頼をきっかけに、佐藤という人物の顧問の占い師となり、主人公の日常はどんどん悪くなっていきます。
落ちたのは<聖杯5>。意味の一つは“半分以上がなくなる”。
引用元:中村文則『カード師』(朝日新聞出版)
僕は息を漏らすように小さく笑う。自然というより、意識的にまた頬に力を入れ、笑った感覚だった。もう1人なのに。
占いを信じない主人公ですが、皮肉にも自分自身を占った結果が今後の未来を暗示するものとなるのでした。
僕はカードを崩す。信じていないならやらなければいい。
引用元:中村文則『カード師』(朝日新聞出版)
だが気になり、順番的に、結論を表す10枚目のカードを出した。思わず笑ったことで息がかかり、ロウソクの火が囃すように揺れた。
佐藤から受け取っていた、別の手記の束を手にソファベッドに向かう。《一五八三年 ヨーロッパ南部 魔女狩りの記憶》とある。エテカという人物とは、また別の人物が書いたもの。
出ていたカードは<剣8>だった。意味の一つは“事態のさらなる悪化”。
本作を読み解くキーワード
本書のおおまかなあらすじは以上のとおりです。が、この簡潔なあらすじだけではとても言い表せない世界が本書では広がっているのです…!
私の力量不足もあり、残念ながら各エピソードの解説は難しいのですが、実際に読むことでこの小説の世界にどっぷりハマっていただきたいです。
そこで、全体を通して押さえておきたいキーワードを挙げてみました!
タロット
すでに述べたとおり、主人公の仕事でも使われるタロットが随所に登場します。
単行本では冒頭2ページに亘ってウェイト=スミス版のタロットが計19枚並べられているのですが、このウェイト=スミス版、美麗であるものの細かな部分に目をやれば不気味さもにじんでいるタロットカードです。オカルト好きをそそる絵柄とも言えるでしょう。
ギリシャ神話
主神ゼウスやその妻ヘラなどよく知られている神話ですが、本書で最も脚光を浴びているのは酒神ディオニュソス(バッカス)です。このディオニュソス、生い立ちも変わっていて、そのエピソードにはつい引き込まれてしまいます。
ヘラの異常な嫉妬心もそうですが、ギリシャ神話って神様たちの物語なのに妙に人間くさい部分があって、読み物としてかなり面白いのですよね。今回の小説でも重要なキーワードとしての立ち位置を確立しています。
悪魔
ゲームや小説の題材になることも多いですが、最も有名な悪魔はベルゼブブでしょうか?本書では、ブエルというライオンの頭部(目だけは人間)から直接5本の鹿のような足が生えた悪魔が登場します。
ポーカー
テキサス・ホールデム形式という方式で違法カジノが行われます。
特に中盤以降、このポーカーにおける頭脳戦・心理戦がかなり手に汗握る展開でして、もうドキドキしっぱなしなのです…!主人公の未来やいかに!?
手記
中村文則氏の小説ではお馴染み?手記が登場します。これまでの小説と比べると、少し多めかもしれません。どの手記も考えさせられるもので、小説を読み進めるうえで重要な内容となっていきます。
ドア
カードは、めくらなければ絵柄を見ることができません。ドアも、開けなければその先の空間を知ることはできないですよね。ドアが隔てる世界について随所に言及がありますので、この観点で小説を読み進めていくのも興味深いことでしょう。
私たちの世界とリンクする小説
なお、本書の朝日新聞連載中(2019年10月1日~2020年7月31日)には、皆さんご存じの新型コロナウィルス感染症が流行し始めました。実世界とリンクして、小説の結末も影響を受けています。
パンデミック初期を振り返り、時代が急速に変化していったあの頃を思い出して読み進めてみると、小説の醍醐味も新たな観点で見出だせることと思います。
一方で、感染症に慣れつつある現在でも本書の取り扱う普遍的なテーマが十分通用することに気づいたとき、一種の悲しみのようなものを覚えることも事実です。
さいごに
最後に、著者あとがきから一部を抜粋します。悲しみに光が差し込むような、生きづらさに温もりが加わるような、こうした時代に苦しむ方へ寄り添う一冊といえるでしょう。
この小説もまた、僕にとってとても大切なものになりました。カードをめくる、という行為には、この世界のあらゆる要素が含まれていると感じます。世界は時々残酷かもしれませんが、何とか皆さんと共に生きていけたら、と思っています。
引用元:中村文則『カード師』(朝日新聞出版)
関連書籍
- 中村文則『逃亡者』(幻冬舎):初めて読んだ中村文則氏の小説です。東京、長崎からヴェトナム、ドイツにタイ、ベルギーへと各地を回りながら交錯する、宗教と愛、政治の物語にとにかく圧倒されました。主人公には著者が投影されているのかもしれません。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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