いつからか浸透しつつあるフェミニズムの流れにある程度関心を持ち、その内容に時に共感したり、憤りを覚えるという方は少なくないのではないでしょうか。フェミニズム運動が始まった当初は主に女性がその活動の担い手でしたが、最近では男性の理解も進みつつあるように思われます。
世界中で未だに男女間格差が存在すること、なかでも日本におけるジェンダー平等が実現できていないという事実は、国連グローバル・コンパクトの以下言及からも明らかといえるでしょう。
ジェンダー平等の推進はSDGs達成における鍵であり、2015年9月25日第70回国連総会で採択されたSDGs決議文書の前文においても、「ジェンダー平等の推進はSDGs全体の目的」であることが、明記されています。
引用元:グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン>グローバル潮流を学ぶ>ジェンダー平等推進への取り組み
日本も女性活躍推進法など法整備を進め、企業もそれらに対応することで、ジェンダー平等推進の一つの側面である女性活躍を促進しています。しかし、世界経済フォーラムが毎年公表する「The Global Gender Gap Report」で発表されるジェンダーギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)は、先進国の中で最低レベルにとどまっています。更に、ジェンダーに関する企業の経営層の発言が、国際的に批判を受けるケースも見られます。企業は国内の法のみならずグローバルな基準に敏感になり、グローバルな文脈でジェンダー平等推進を進める必要があります。グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンのWEPs分科会では、日本社会のジェンダー平等の底上げに貢献すること を目指し、会員企業・団体が活動しています。
今回ご紹介する一冊は、親子・夫婦関係やアディクション(嗜癖)に悩む人びと、そして、その家族へのカウンセリング経験が豊かな、信田さよ子氏のエッセイです。
信田さよ子氏は日本公認心理師協会理事、日本臨床心理士会理事を務めていらっしゃいます。2024年3月には、日本公認心理師協会の会長名にてスクールカウンセラーの地位向上を求めるなど、カウンセリングといった対人支援に関わる方にとって大変身近で著名な人物であり、私自身もさまざまな影響を受けてきました。
以前、私は某市のイベントで信田氏の講演を聞いたことがあります。当日、その内容に大いに刺激を受けたことをよく覚えています。SNSで時折お見かけするコメントと同様、ご経験に基づく力強さと優しさの両方を感じさせられたものです。
ご経歴を調べたところ、お茶の水女子大学文教育学部哲学科のご卒業とのこと。実務的な面もさることながら、理詰めで論を展開していくさまは、まさに哲学のバックグラウンドを想像させます。
対人支援に関わる方には得るものが多い一冊です。それでは、さっそく見ていきましょう!
こんな方にオススメ
- 対人支援の仕事をしている方
- 児童虐待やDV被害、性犯罪のニュースに心を痛めている方
- 信田さよ子氏の考えに触れたい方
イノセントな被害者
さて、本書のタイトルは、なにやら意味深ですよね。『家族と国家は共謀する』とは、どういう意味なのでしょうか? 著者はあとがきで以下のように語っています。
女性学の成果を吸収し、社会学の言説を駆使することで、初めて家族の暴力の構造が見える気がしたのである。こんなの自分だけでしょ、という極私的な経験が、国家の暴力(戦争や政治)と根底でつながっているとしたら……。そんな私のワクワク感が執筆を駆動した本体である。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
「家族と国家は共謀する」。家族と国家の暴力との共通点は、本書を読み進めながらぜひ考えを深めたいポイントです。
夫婦間におけるDV
家族内で最も見聞きする暴力の一つは、夫婦間におけるDVでしょう。DVという言葉が生まれた背景や、そのことが当事者にどのような影響を与えたかという解説が本書には丁寧に書かれていました。無知な私には大変勉強になる内容でした。
なかでも、暴力という言葉自体が持つ非対称性についての言及は、考えさせられました。
すでに述べたように、暴力という定義は被害者の立場に立つというポジショナリティ(立場性)を前提としている。そして、基本的に被害者はイノセントであり責任がなく、擁護されるべきであり、結果として正義となる。中立的立場が公正であるならば、暴力と定義された関係において、被害者の立場に立つことが中立となる。彼らの行為を暴力と名づけたとたん、中立的立場は被害者の立場へと擦り寄っていくことになる。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
イノセント、すなわち純粋無垢な存在こそ正義となるという指摘は、高瀬準子著『おいしいごはんが食べられますように』を思い出しました。この作品では、守られる存在こそが権力を得るという構図が描かれています。
↓高瀬準子著『おいしいごはんが食べられますように』についてはこちらで記事にしましたので、宜しければお読みください。
子どもへの虐待
一方で、子どもへの虐待と夫婦間のDVではイノセンス(免責性)に違いがあると述べます。
(中略)家族の中の暴力から虐待だけが選ばれて強調されるのだ。なぜなら、被害者である子どもは無垢で無力な存在であり、おまけに親を選んで生まれてきたわけではないからだ。これほど圧倒的なイノセンス(免責性)があるだろうか。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
それに比べると、DV=妻への暴力は違う。被害者の妻は成人であり、逃げる自由をもっている。夫とは合意の上で結婚したのであり、選択した責任は妻にもある。それに夫婦は「対等」のはずだから、あそこまで殴られるには、妻にも悪いところがあるのだろう。常識からは、こう考えられるに違いない。虐待に比べると、DVは妻の責任をめぐる複雑な説明や理論化を経なければ、彼女たちを声高に被害者と断定することは難しい。
ここでは、妻がDV被害を受けた場合という形で記述されていますが、夫側が被害を受けた場合にはより一層、夫側が被害者とは認定されにくいものと考えられます。これは、某芸能事務所の性加害報道で、男性被害者がさまざまな誹謗中傷に立ち向かわざるを得なかった点からも容易に想像できますよね。
面前DV
では、夫から妻へのDVは存在するが、イノセントな子ども自身は虐待を受けていない場合はどうか。実は、面前DVにさらされた子どもがDV加害者になることは多く、虐待の世代間連鎖が生じることが多々あるようです。
DV加害者プログラム参加男性の八〇%以上が、父親のDVを目撃している。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
こうした連鎖は、田中慎弥著『共喰い』で確認することができます。本書『家族と国家は共謀する』では、たくさんの映画を引用しながら議論が展開されていきます。文学や映画は社会の実像を映し出そうとする試みなのだな、とあらためて考えさせられることでしょう。
↓田中慎弥著『共喰い』についてはこちらで記事にしましたので、宜しければお読みください。
カウンセラーとしての態度
さて、支援者としての態度についても示唆を与える内容に富んでいました。
およそ一般常識からかけ離れたこのような言葉も、カウンセリングでは許される。そして、私たちカウンセラーがもっとも大切にしなければならないことは、最初に理論ありきではないということだ。もちろん、専門家として多くの書を読み、学説に精通することは、プロの一般常識として必要であることはいうまでもない。しかし、目の前に座って苦しんでいる人が語ることを、とにかく聞くこと、そして聞いた内容を私なりに文脈化していくことが何より優先される。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
ここでいう文脈化の詳細については本書をお読みいただきたいのですが、まず何よりも「とにかく聞くこと」という言葉に胸を打たれました。理事ともなろうお方なら、理論も実践も超一流のはずです。しかし、いかに研鑽を積み重ねたとしても、まず「聞く」ということが優先されるというのは、対人支援の世界における深みを感じます。
自分の対応を振り返ってみると、私がご相談者さんの話を聞く時は、目の前のご相談者さんのお気持ちや苦しみにただ寄り添うばかり、ということも多いです。多少なり理論的な勉強も続けていますが、目の前の方のことを考えると学術的な内容はいったん脇において「精一杯」お話を聞くという状況になることがしばしばです。
まだまだ自分は未熟だから勉強しなければ、という思いが常にあるのですが、本書を読んで、このような関わり方はきっと一生続くだろうし、あえて失う必要もないのだ、と再認識しました。理論に当てはめることを主目的にしてしまうと、当事者がご相談者ではなくカウンセラーになってしまうのかもしれませんね。
上述したカウンセラーとしての態度は、以下の記述と通ずるところがありました。支えるということは、確立された理論に従い話を聞くというだけではない、多大なパワーを要するということです。援助者として、この事実に真摯に向き合う必要があるのでしょう。
ケアという言葉から連想される、やさしさや慰撫のイメージからは程遠い遠大でエネルギーを要する作業こそが、実は被害者支援の中心的対象となるのである。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
最近の世の中を考えるヒントにも
他にも、最近の社会情勢を考えるヒントもいくつか得ることができました。たとえば、最近の産業界では障がい者の方の雇用を進めようという流れがあります。私自身この流れに賛成しているものの、勤務先も含め社会全体として遅々として進まない状況にもどかしさを覚えておりました。
なぜ障がい者の方の就労支援が活発になったかというと、これは日本全体の少子高齢化による労働力人口の減少を踏まえた流れと理解していますが、それはさておき。
本書では、なんと伝統的な「男らしさ」は「発達障害的」だと言及されているのです。
注意深く見ると、これが日本で主流だった「男らしさ」の価値を下げたことがわかる。男は黙って、自分の信念を曲げずに、頑固なまでに固執する、といった態度がプラスの価値を持っていたのだが、それらは現在では「発達障害的」だとされる。綾屋紗月は発達障害の臨床像とジェンダーの問題を関連させているが、まさに昭和の男らしさは、そのまま発達障害の特徴と重なっている。
引用元:信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)
なるほど、言われてみればたしかにそうです。これは私にとって新たな視点でした。しかし、マッチョイズム(男らしさを重んじる思想)の強い職場や管理職ほど、障がい者の方の雇用に積極的ではないようにも思えます。これはなぜなのでしょうか…?
折に触れて深堀したいテーマです。本書を読んだことにより、新たな視点で世の中を眺めることができそうです。
関連書籍
- 高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社):第167回芥川賞受賞作。本作は、ほんわかゆるりとしたタイトルから想像される、癒し系たべもの小説ではありません。常に漂う不穏な空気、登場人物たちのなかに浮かぶ暗い感情、確実に存在する理不尽…。感情描写にすぐれた作品ですので、読みながら自分自身の考えを振り返るのも良いかと思います。記事を書きましたので、宜しければお読みください。
- 田中慎弥『共喰い』「第三紀層の魚」(集英社):著者の「もらっといてやる!」という発言が波紋を呼んだことでも有名な表題作の「共喰い」は、第146回芥川賞受賞作。昭和最後の夏、川辺の田舎町が舞台です。全体をとおして地域ゆかりの方言で登場人物達が言葉を発するのですが、衝撃的な出来事、方言から連想される穏やかでのんびりとした空気感、そしてそれを記録する第三者としての作者、という構図が本書の醍醐味ではないかと思います。ラストは衝撃的です…!記事を書きましたので、宜しければお読みください。
- 信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(春秋社):必死にいい娘を演じる女性たち、「墓守娘」。母娘の関係に苦しむ方に読んでいただきたい一冊です。
- 黒坂真由子『発達障害大全 ― 「脳の個性」について知りたいことすべて』(日経BP):発達障害の子を育てる編集者が各界第一人者の医師、研究者など13人に聞いて書いた「発達障害の教科書」です。なんと日経BPというビジネス系出版社から出ているベストセラーでして、続々重版と大変異色です。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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