日本では少子高齢化が進み、国民全体における子どもの比率がどんどん低くなってきています。子どもの数が減っているということは、若い学び手の数も減っているということ。大学の数は増えていますが、定員割れにより収益が悪化している大学が全国で増えている、というのが実情です。
一方、巷でよく聞くようになった「リスキリング」。時代の変化も激しくなり、就職したらその後は安泰だった世の中は、すでに終わりを告げています。
私は大学卒業後、仕事への理解を深めるため業務に直結する資格を取得しました。また、新書を読んで世の中のことを知ろうとしたり、小説を読むことで自分が経験し得ないようなさまざまな人生に触れる体験をしてきました。意欲ある若者のなかには、同様の経験がある方も多いことでしょう。
社会人として10年ほどたったあるとき、私は思ったのです。
いまの仕事をそのまま続けていて良いのだろうか?
学び足りない気がする…大学院に行こうかな?
少子化とリスキリングの推進で、いまや大学院は
かつてよりも社会人の比率が高いのではないか?
そんななか手に取ったのが本書『社会人のため文系大学院の学び方』。本書はタイトルのとおり、社会人が文系の大学院に入学し、学び、卒業するまでの心得を著した一冊です。大学院の入試対策を示す一冊ではありませんが、入学後の過ごし方をイメージする上で大変参考になる点が多いです。では、さっそく内容を見ていきましょう!
こんな方にオススメ
- 社会人だが、大学院に通いたいと思っている
- 大学院入学に関心があり、どんな場所か具体的なイメージを掴みたい
- アカデミック・ライティングの基本を知りたい
大学院ってどんなところ?
さて、「大学院に行きたいな~」という思いを抱いていても具体的なイメージがない私。ハッとさせられたのは、本書冒頭の「はじめに」という章です。著者の齋藤早苗氏がこれまで見てきた社会人院生の特徴として以下が挙げられていました。
・大学院を、カルチャーセンターや公開講座の延長線上だと考えている。
引用元:齋藤早苗『社会人のための文系大学院の学び方』(青弓社)
・自分の職業経験と学問上の議論を混同してしまう。
・社会科学の調査手法を学ばず、我流で調査する。
・自分が思い描く理想論に向かって研究しようとする。
大学院でこのようにふるまうことで、学卒の大学院生から距離をおかれたり教員から見放されてしまったりして、結果的に大学生のレポート程度の修士論文を書いて修了していく人もいました。
たしかに、学ぶだけならカルチャーセンターや公開講座、読書で事足りるはずです。そして、大学院は学ぶためというよりは研究するための場。教授から一方的に講義を受けて必要な単位を取得したら卒業、という大学の仕組みとは根本的に違うのですよね。
それに、大学院に入学するからには何か理想とするものがあると思うのですが、学術の世界での作法をきちんと理解しなければ、それは研究とは言えないのでしょう。
こうした特徴について「もちろん、著者も例外ではありません」と付言されています。大学院を志す方は、誰でもこのような言動を取る可能性があるということでしょう。ドキッとしつつ、大学院という場の存在意義について考えさせられたあと、本編に進む構成となっています。
議論するときには「批判する」
さて、大学院は先に述べたとおり一方的に講義を受ける場ではありません。研究をする場です。本書では、研究のプロセスは次のように示されていました。
①意義のあるテーマを自分で見つけたうえで、
引用元:齋藤早苗『社会人のための文系大学院の学び方』(青弓社)
②問いを設定し、
③それに対応する仮説(仮の答え)を示し、
④その仮説が妥当かどうかを、調査と分析で確認し、
⑤答えを出す
⑥社会科学の形式にのっとった書き方で、①から⑤を修士論文にまとめる
実は、私は大学時代に1年がかりで50枚程度(付録含む)の卒業論文を書き上げています。当時のことを振り返ると、まさに本書で示されたプロセスに沿って論文を作成しておりました。大学院では、大学生のとき以上に、自ら主体的にこうしたプロセスを回していくことが必要なんだな、とあらためて認識させられます。
そして、院生自らの主体性を残しつつ仲間たちと切磋琢磨するための方法が「批判」。
大学院の授業やゼミでは議論することが求められます。議論するためには、発表された内容に対して疑問を提示することになります。
引用元:齋藤早苗『社会人のための文系大学院の学び方』(青弓社)
この「疑問を提示する」ことが「批判する」ことになるわけです。ここでの「批判」はあくまでアカデミックな場である大学院でよくいわれる「批判的に読む」という場合の「批判」です。
ここで注意しなければならないのは、「批判」という言葉が、学問世界と仕事世界では異なった意味で使われているということです。
詳細は本書をお読みいただくとして、この「批判」は「さらなる思考を促す批判」。
つまり、学問世界での批判は、発表者の意図をより明確に言葉にするための促進剤なのです。
引用元:齋藤早苗『社会人のための文系大学院の学び方』(青弓社)
そこで、ゼミでは、「さらなる思考を促す批判」として発言してみてください。そうすると、「相手を打ちのめす批判」ではなく「論文をよくするアドバイスとしての批判」になると思います。
仕事では、ときに部下や上司に不満をもつことがあるでしょうし、他部署に問題の是正を求めることがあるでしょう。これは「批判」ではありますが、学問の世界における「批判」とは趣が異なるということです。
自分の発表内容に対して鋭い指摘を受けたとき、落ち込んだり怒りを覚えたりするかもしれません。でも、「批判」してもらえるということはまだまだ伸びしろがあるということなのですね。自分も仲間へのアドバイスとして「批判する」。慣れないけれど、「批判」することはとっても大切な貢献と言うことなのです。
研究の集大成!論文の書き方が仕事にも役に立つ
本書は3章構成で、最終章の第3章は「修士論文を執筆する」です。ページ数でいえば、本書の約半分がこの第3章に費やされています。この分量を見るだけでも、やはり大学院では論文執筆が重要だと言うことがわかるでしょう。
大学院に行くきっかけがなんであれ、ゼミ発表は教授も含めて互いに批判し合うという性質から協同作業ということができるでしょう。共同作業であるからこそ、慣れないながらも乗り越えていけるのだと思います。
しかしながら、アドバイスを得ながらも最後に修士論文を執筆するのは自分自身です。自身の文章力が鍵を握るわけです。修士論文を執筆し、口頭試問に合格しなければ卒業はできません。
本書では、アカデミック・ライティングの基本が理解できる内容となっています。たとえば、読み手に伝わるシンプルな文章を書く条件について。
①1文1意味で書き、文と文を接続詞でつなぐ
引用元:齋藤早苗『社会人のための文系大学院の学び方』(青弓社)
②主語(行為する主体)を意識する
③平易な表現で具体的に書く
こうして3つの条件を眺めてみると、当たり前のことのように思えてきます。が、仕事で主語が提示されていない文章や、やたらと難解な文章を目にしたことはありませんか?
私がよく目にするのは、主語が不明瞭な文章です。なかなか論理的な文章でありながらも最後は「~する必要があります。」という結び。「え、それどの部署に向けて書いているの?あなたはやらないけど、他の誰かがやってくれっていう意味(^^;)??」などと混乱することもしばしばです。
これは、おそらく日本語という言語が、主語が存在しなくても文法的に問題ないからではないかと考えています。英語だと "I" とか "You" とか "They" を文章の最初に示す必要があります。スペイン語は主語は必須ではありませんが、動詞の語形変化から一人称、二人称・三人称を区別することができます。
日本語は主語が曖昧でも意志疎通が出来るハイコンテクストな言語ですが、アカデミックの場では誰でも同じように読み取ることができる記述でなければなりません。
ライティングの技術は、仕事の場面でも役に立ちますよね。本書を読んで、社会人になってから大学院生活を選択した場合の過ごし方をだいぶ具体的にイメージすることができました。いますぐ大学院に行くわけではないので論文執筆の機会は無いけれど、まずは仕事で文章上のコミュニケーションを意識することから始めようと心に決めました。
関連書籍
- グロービス経営大学院『改訂3版 グロービスMBAクリティカル・シンキング』(ダイヤモンド社):定評のあるグロービスのテキストです。頭のなかを整理して論理的に伝える。クリティカル・シンキングはビジネスの場で必ず求められるスキルであるにもかかわらず、スキル不足の方が多いと言われます。学術書のような堅苦しい表現は少なめで読みやすく、MBAを目指すか否かによらずビジネスマン必読の書と言えるでしょう。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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本書の優れた点として、学卒院生や社会人院生の生の声が載ったコラムが挙げられます。研究発表の場でアドバイスを受けても内容が変化しなかった社会人院生についての逸話は、考えさせられる点がありました。