著者はペク・セヒ氏。1990年韓国のソウルに生まれ、文芸創作学科を卒業後、出版社に勤務しました。本書は気分変調性障害(軽度のうつ病)の治療記録を、患者のペク・セヒ氏自身がまとめて出版したものです。
こちらの書籍、最初は自費出版にて世に出たのですが、その後なんと異例の大ヒットとなり日本でもベストセラーとなりました。どうしてこんなにもたくさんの方々の心を掴んだのでしょうか?
さっそく内容を見ていきましょう!
こんな方におすすめ
- 気持ちが塞ぎ込み、不安な日々を過ごす方
- カウンセリングの勉強をしている方
いま不安な日々を過ごしている方へ
「気分が沈んで毎日不安な思いを抱えているけれど、ひどく憂鬱というほどではない…。」
本書のタイトルにも表れているように、「辛い」という思いがあるけれども「お腹が空けばトッポッキは食べたい!」というような、アンビバレントさ(相反する感情を同時に持つこと)を残す方は、この日本でも少なくないのではないでしょうか。
そして、気分の落ち込む程度が比較的軽めであるがゆえに日常生活を送るうえでは大きな支障が無く、そのためにかえって居心地の悪さを感じてしまう…というのも想像に難くありません。そんな方にとって、「辛いのは自分だけではないのだ」という発見を与えてくれる本です。
著者は本書の冒頭で以下のように記しています。
どうして人は、自分がどういう状態にあるのかを率直にさらけ出さないのだろう? つらすぎて、そんな気力も残っていないのだろうか? 私はいつも得体のしれない渇きを覚え、自分によく似た人からの共感を求めていた。そして、そういう人たちを探して彷徨うよりも、私自身がそういう人になってみようと思った。ほら、私、ここにいるよと、力いっぱい手を振ってみようと思ったのだ。誰かが自分とよく似た私のサインをキャッチして、こっちに来て一緒に安心できたらいいなと思う。
引用元:ペク・セヒ(著)、山口ミル(翻訳)『死にたいけどトッポッキは食べたい』(光文社)
本書は執筆当時に継続中だった治療記録を書籍化しているものですので、具体的な解決策は示されていません。しかし、カウンセラーからの助言や著者本人の気付きの中から、より生きやすくなるためのヒントが断片的に語られているのです。こうした文章に親しみを感じ、共感できる点はとても多いです。
患者目線でまとめられた逐語記録
カウンセリングを学んだ多くの方はご存じですが、「逐語記録」という面談記録法があります。逐語記録とは、カウンセラーがクライアント(相談者)との面談を録音し、後日文字起こしをしてその内容を振り返ることです。
「クライアントの感情がどこで変化したか?」や、「カウンセラーの対応は適切だったか?」などなど、文字起こしをして視覚的に経緯をまとめることにより、自身の力量を含めクライアントの状況を客観的に把握できるようになるのです。自己研鑽を目的として定期的に実施する方もいますし、クライアントの同意を得て他のカウンセラー達と共有するケースもあります。
このように、逐語記録とは通常カウンセラーが主体的に実施する行動です。しかし、本書で稀有な点は、なんとこの逐語記録をクライアント自身が実施している点です。ただ文字起こしをするだけでなく、面談中に発した自身の発言やカウンセラーの発言への振り返りを行い、面談後に感じたことさえ記録しているのです。
本書では、著者のカウンセリングを担当したドクターからの言葉も掲載されています。特に以下の記述が印象的でした。やはりクライアント目線での記録は、カウンセラーの気付きとは色合いが異なるのだと思います。
本の中で出会った著者の文章からは、カルテに記録された乾燥した内容とはまた別の生命力が感じられました。
引用元:ペク・セヒ(著)、山口ミル(翻訳)『死にたいけどトッポッキは食べたい』(光文社)
人生への哲学的な気付きが示されている付録散文集
本書の終わりには、治療期間中に執筆されたと思われる散文集「憂鬱さの純粋な機能」が付されています。この散文集は要するにエッセイなのですが、詩的で哲学的で…、とても味わい深いです。たとえば「修飾語がない人生」という表題の一扁では、
私たちにはいつも修飾語がくっついている。私も例外ではない。若いということは変えようがない今だけの修飾語だが、私が言いたいのはその修飾語にこめられた意味や期待だ。学歴や専攻を例にあげてもいい。文芸創作科の卒業生はみんな水準以上の文章を書き、英文科はネイティブのような会話をするのだろうという単純な考えは、むしろ当事者が実力を発揮する妨げになる。プレッシャーになるからだ。
引用元:ペク・セヒ(著)、山口ミル(翻訳)『死にたいけどトッポッキは食べたい』(光文社)
と語り、いわゆるレッテル貼りとも言い換え可能な、修飾語を用いることへの批判を示しています。しかし、一方で自身もその修飾語によるフィルターを通して他者を見ていることに触れ、理想の社会について思いを馳せるのです。
こうした何気ないエッセイには著者の考えが表れるし、共感してしまいます。これは、国が違えども私が著者と世代が近いことも関係していると思います。
関連書籍
- ペク・セヒ(著)、山口ミル(翻訳)『死にたいけどトッポッキは食べたい 2』(光文社):本書の続編です。その後の著者や、いかに。別記事にて書評を掲載しています。
- キムスヒョン(著)、吉川南(翻訳)『私は私のままで生きることにした』(ワニブックス):2022年1月時点で韓国で113万部突破のベストセラーエッセイ。日本でも52万部突破です。韓国も日本に負けず劣らず、いやそれ以上に生きにくい社会なんだなと感じてしまいます。周囲との協調を大切にして、結果的に個人を蔑ろにしてしまいがちな点は、東洋ならではの文化なのかもしれません。 別記事にて書評を掲載しています。
- ハ・ワン(著)、岡崎暢子(翻訳)『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社):『私は私のままで生きることにした』と同様、コロナ禍に限らずこれまでどこか閉塞感を抱いてきた方に読んでもらいたい一冊。 こちらも別記事にて書評を掲載しています。
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