2023年3月現在、ロシア・ウクライナ情勢の終着点が見えない状況が続いています。日本国内においても、防衛力強化の必要性を巡る議論が盛んになってまいりました。
日本において、国土および国民が大きな被害を受けたという意味で最も記憶に新しい戦争は、8月15日に終戦を迎えた第二次世界大戦(太平洋戦争)でしょう。
今回は、当時を生きた文学者たちの人生を振り返りながら、反戦の思いや愛国心、戦争責任について考察を深めるうえで大変有意義なエッセイ集をご紹介します。
こんな方にオススメ
- 日本文学が好きな方
- 大切な方を亡くした方
- 戦争と文学の関係性について考えを深めたい方
本書を手に取った理由
私は、本書を2022年に手に取りました。
私にとって、2022年はいろいろなことがあった年でした。冠婚葬祭が多々あったのですが、なかでも、幼少期から一緒に暮らしていた祖父の他界は大きな衝撃を与えました。覚悟していたことではあるものの、いきなり遺品整理に明け暮れる日々を過ごすことになったのです。
皆さんは、故人の日用品を整理したことはありますか?遺品整理とは、亡くなった方の人生の深い部分に触れる作業です。写真に手紙、趣味のもの…。
祖父は大の読書家だったため、大量の本が書斎や寝所、トイレにまで(!)残されていました。この残された書物を眺めているだけで祖父の人生観や思想などがとてもよく伝わってくるのですよね。法事も粛々とこなしながら整理を進めていくなかで、祖父の人生を自分が追体験しているような気持ちになり、不思議と自分自身の気持ちも整理されていったものです。
こうした日々を過ごすうち、法事のアレコレや人の一生というものについても思い巡らすことが増えました。今の生活にいっぱいいっぱいだとつい意識に上らないものですが、亡くなった方にも皆、それぞれの人生があったのだなと感じさせられるのです。
そんな中ふっと頭をよぎったのは、すでに話題作として出版されていた本書『文豪お墓まいり記』。
なるほど、今こそあの本を読むときだ!
本書は、著名な文学者のお墓まいりをしながら故人の年譜を振り返り、また文学論にまで思考を深めたエッセイ集です。
芥川賞にたびたびノミネートされる山崎ナオコーラ氏の手で、月刊誌「文學界」にて二〇一五年三月号~二〇一七年三月号、八月号にて連載されたものを書籍化しました。
戦争と文学者についての考察
私が読んでいて興味深く感じたのは、文学者たちが戦争をどのように捉え、物書きとしての仕事を続けたか、という視点です。これは、前述した私の祖父が若い頃に戦争を経験していた事実に影響を受けているのでしょう。
著者も、戦時中に文学者が残した文章や作品から、その関係性について随所で考察しています。
40年以上に亘る日常を記録した『断腸亭日乗』を残した永井荷風のお墓まいりの章では、こんな言及が。1945年8月14日という終戦前日に、岡山で谷崎潤一郎と永井荷風が再会した時の日記を引用して、次のように述べています。
翌日に終戦を迎えるとはいえ、まだ戦争中だ。多くの人が苦しんでいる中で肉を食べるなんて(それもどうやら、すき焼きらしい)、ちょっと驚いてしまう。
引用元:山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)
しかし、戦時下でごちそうを食べるというのは、最高の反戦活動だ。
本書では、谷崎潤一郎の執筆活動についての記述もあります。現代では音楽の分野などで反戦の意を示すことは珍しくなくなりましたが、当時は未だ制限の多かったことでしょう。そうした中で、文学者たちがどのような形で反戦の心を示していたのかを知ることは、興味深いものです。
他に、プロレタリア詩人として文学活動を始めた劇作家の三好十郎のお墓まいりの章では、日記の記述を引用して次のような記述も。
私が驚いたのは、三好が勝ちたいと考えていたことだった。反戦の意を持つとはつまり「勝ち負けに拘泥せずに国を愛することだ」と私は考えていたのだが、三好は反戦を思いながら勝つことも考えている。しかし、当時の人にとっては当たり前のことだったのかもしれない。勝つような国だと信じることができていないと、国を愛していると見なされない時代だったのに違いない。
引用元:山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)
この三好十郎が戦後に感じた戦争責任についての考えを深めていく部分も読みどころです。
一方で、最近ブームとなった獅子文六。彼は、戦争小説を書いた事実があり、文壇から追放されるかもしれないという危機を迎えました。著者は、文六の自伝的小説『娘と私』を読み進めながら、文六の戦争との向き合い方を知っていきます。
太平洋戦争が始まると、日本に勝って欲しい、と考えるようになる。『海軍』という戦争小説も書く。若くして亡くなった実在の軍人をモデルにした作品で、決して軍人を神格化することなく素朴な青年のひとつの生き方を描いたらしいが、国民の戦意高揚に繋がる仕事を果たしたことに違いはないだろう。
引用元:山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)
(中略)
だが、半分以上を過ぎて、戦後に入った途端、俄然面白くなってきた。文六は、自分が戦犯のような扱いを受けて文壇から追放されるのではないか、と考え、戦争が終わるとしばらく妻の実家がある四国の田舎に引っ込んで暮らす。文章を書く気にならず、近所の人と野球をしたり、地元の祭りに参加したり、ぶらぶらし続ける。
戦争に真っ向から反対することが難しかった時代、協力するさえも戦後は悩むことが多かったのではないか。文六の執筆姿勢に対する著者の考察が書かれているのですが、やはり山崎ナオコーラ氏の作家としての視点が感じられて脱帽するばかりです。
お墓まいりしたくなる
以上、文学者が戦争とどう向き合ったかという点で本書を取り上げてみました。本書では文豪たちの簡単な経歴や代表作も紹介されており、その人生を読んでいるとお墓まいりしたい気持ちが芽生えてくるのです。
漱石の墓は別格だった。周りから浮いている。普通の人の墓ではないと、ありありとわかる立派な墓石だ。大きさもはなはだしい。
引用元:山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文藝春秋)
お墓の記述も細かく、是非行ってみたい!という気持ちになってしまいます。お花を活け、時に墓石をタワシで磨き、一礼。私は自分の親族のお墓まいりにしか行ったことがないのですが、墓石を磨くという行為はやはり故人をリスペクトしていないと出来ないことだと思います。
お墓まいり後は、近隣の飲食店でお食事した様子も書き記されています。著者の母や夫、作家仲間などさまざまな方と来訪したお出かけの記憶にもなるのでしょう。
現地に赴いて私も食べたいなあ…。
本書で紹介されている故人には、私の知らない文学者がたくさんいました。また、すでに知っている文学者については、あらためてその人生に触れることでもう一度作品を読み直したい衝動にも駆られました。文学の世界に誘ってくれる良質なエッセイ集といえるでしょう。
関連書籍
- 永井荷風『断腸亭日乗』(岩波書店):40年以上に亘って永井荷風が記した日記です。日記でありながらも読み物としても面白いことで有名ですが、この日記で永井荷風が菊池寛の悪口をたびたび記していた事実が、『悪口本』(彩図社)という本で公開されています。
- 獅子文六『娘と私』(筑摩書房):著者が妊娠中に読んでいたという本書。タイトルの割にドン引きする内容があったが、後半は面白いとの短評付きで紹介されています。
- 武田百合子『富士日記』(中央公論新社):エッセイのみを書いた武田百合子の代表作。その文章には常に死の雰囲気が漂っているとのことで、本書を読んでいて今度是非読みたいと強く感じた作品です。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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