「普通」ってなんだろう?新型コロナウィルス感染症で世界が混乱するなか、これまで自分が信じていた常識について考え直すようになった方は少なくないことでしょう。
今回は、いわゆる「普通」ではない家族の織り成す物語をご紹介します。本作は、第9回河合隼雄物語賞受賞作品です。2021年夏の青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)にも選出されました、読んでいるとなんだか温かい気持ちになる寺地はるな氏の小説ですよ。
こんな人におすすめ
- 本当の自分と社会で求められる自分との間に葛藤を感じている
- 家族がどんなことを考えているのか知りたい
- 自分の人生を自分らしく生きたい
どこか普通じゃない一家を巡る物語
普通の女の子、普通の男の子、普通のお母さん、普通のお父さん。そして、普通の家族。日常生活を送る中で、こうした表現に出会うことは意外と多いのではと思います。
ところで、「普通」ってなんなのでしょう?こんな疑問がある方に目を通していただきたい作品が本作、『水を縫う』です。
この物語は、世間一般で考えられているような「普通」の人たちが登場する物語ではありません。「普通」に飲み込まれ、どこか居心地の悪い場面に遭遇しながらも、自分を大切に生きていく姿が描かれています。
全六章構成で、それぞれの章の主人公が異なる連作短編集となっています。そして、なんと、どの章も水にまつわるタイトルが付けられています。さて、何故でしょう?これは、最後まで読み進めることで腑に落ちることでしょう。
<目次>
第一章 みなも
第二章 傘のしたで
第三章 愛の泉
第四章 プールサイドの犬
第五章 しずかな湖畔の
第六章 流れる水は淀まない
登場人物
主要な登場人物について、ご紹介します。
主人公とその家族
清澄
「松岡清澄です。寝屋川○中から来ました。部活は、まだ決めていません」
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
そこで息を吐いた。ほんとうは、言わなくてもいいことはわざわざ言わないでおこうと決めていた。めんどくさいことは好きじゃないのだ。これから三年間、つつがなく高校生活を過ごせたらそれにこしたことはことはない。
「でも、縫いものが好きなので手芸部に入るかもしれません」
祖母の影響で裁縫に興味を持ち、特に刺繍に夢中になる高校一年生。調理も得意で、中学時代は「女子力高過ぎ男子」と呼ばれ、周りからはなんとなく浮いた存在だった。
水青
かわいいドレスなんか着たくない。でも、それをどう説明してもわかってもらえる気がしない。紺野さんにも、それから清澄にも。だって彼らは男だから。
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
清澄の姉で、「かわいい」ものが苦手で地味な格好を好む。母が評するに「善良が服を着て歩いているよう」な紺野さんとの結婚を控えている。
さつ子
「せやから言うたのに」と同じぐらい、母は「やめとき」という言葉を使う。コンビニ行こうかな。やめとき、雨降りそうやから。このお菓子食べようかな。やめとき、もうすぐごはんやろ。家にいるあいだずっと、そんなやりとりが続くのだ。
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
清澄、水青の母で、常に何かと相手を先回りした発言をする。
文枝
男のくせにとか女のくせにとか、そんなことに苦しめられずに済む時代を自分の子や孫には生きてほしいと願ってきたつもりだった。そのくせ「女は男より劣る」という考えは今なおわたしの全身を蝕んでいる。なにも考えずに「女の子やのに、数学が得意やなんてすごい」なんて言葉が口をついて出る。
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
さつ子の母で、清澄、水青の祖母。同居している。父や夫から女性らしさを意識させられる言動に触れてきた過去がある。
元家族とその雇い主
全
結婚している時もそうだった。全はお金の使いかたがよくわかっていなくて、一か月ぶんのおこずかいとして渡した二万円を一日で使って帰ってきた。私も倹約上手とは言えないほうだけど、全のそれは度を越していた。なんに使ったのかと訊いたら、花束とネックレスを差し出してきた。さっちゃん喜ぶかと思て、と言われてますます腹が立った。
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
さつ子と結婚し水青、清澄の二児をもうけた後、離婚。現在は服飾専門学校時代に出会った黒田と暮らし、株式会社黒田縫製の専属デザイナー。
黒田
全のかわりにこの黒田が来るようになってからは、金額にぶれがない。黒田は全の雇い主で、毎月養育費ぶんの金額を抜いてから、全に給料を支払っている。
引用元:寺地はるな『水を縫う』(集英社)
全に一か月ぶんの給料をいっぺんに渡すとぜんぶ使ってしまうので、おこずかいのようにすこしずつ渡すというのだからふるっている。まるで保護者だ。
父から継いだ株式会社黒田縫製の社長。独身で、なにかと全の世話を焼いている。
自分との共通点を探しながら読むと面白い
子どものころにはあまり意識しなかったけど、大人になるにつれて、だんだん社会からいろいろな役割を押しつけられるようになった…。私は、そんな風に感じていました。
最近は、LGBTQから始まり、SOGI(性的指向・性自認)といった言葉が世の中にだんだんと知られるようになってきました。「男の子だから」「女の子だから」といった理由で行動を抑圧された経験がある世代には、まさに新時代の到来だなと思うばかりです。
そうした時代背景のなかで、本書が中高生向けの本として随所で推薦されているのも頷けるところです。私は社会人になって久しいですが、「こういう子がいたなぁ」と過去の同級生を思い出し、「私は水青の気持ち、分かるなぁ」と共感し、「さつ子の立場だったら、私もそう思うかも」と発見したり。
自分の人生が「普通」ではないことに引け目を感じる必要はないのだな、と思い至りました。そして、これからの人生にも少し自身が持てそうな気がしたのです。
これはあくまで私の想像ですが、本書の執筆背景には、「生産性」に関する発言で話題となった、某国会議員への文学的回答では、と思っています。私自身は先に述べたとおり、作者の寺地氏が著した本作に大いに共感し、未来への希望を感じ取りました。当時、憤りを覚えた方にぜひ読んでいただきたいです。
関連書籍
- 寺地はるな『架空の犬と嘘をつく猫』(中央公論新社):「嘘はついてはいけない。」社会通念として幼い頃から周りに言われて育つものです。でも、人生一度も嘘をついたことが無い人はいないでしょう。この小説では、嘘つきばかりの羽猫家の日常とその結末を描きます。幸・不幸の基準は人それぞれですが、ラストの締め括りはとても爽やかですよ。
- 寺地はるな『正しい愛と理想の息子』(光文社):悪党の男二人が騙し騙され辿り着く先を描く小説。寺地氏の小説は相変わらず登場人物が魅力的です。「架空の犬と嘘をつく猫」を読んだ際にも感じたのですが、世の中に対するキレイゴトへの宣戦布告のような印象を与えます。善悪、虚実、幸不幸。どんな状態があるべき姿なのでしょう?作者自信が"きもちわるいタイトル"と語るこの作品。同じような違和感を抱く方こそ味わいを見出だすことと思います。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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