私は「男女の違いとは何だろう?」とよく考えてしまう癖があります。
「もし私が別の性別で生まれていたらどんな人生を歩んだのかな」と想像してみたり、「性別の違いを意識した適切なコミュニケーション方法とは何か」について職場や家庭で思いを巡らしてみたり。
今回ご紹介する本は、そんな「性別」について無意識に捉えていた観念について意識せざるを得ない内容が盛り込まれています。
時は未来、2092年。新型インフルエンザの蔓延により10代から20代女性が激減した日本において、健康な満18歳から満30歳までの若年男性に性別の変更を義務化し出産を奨励する法案が可決された…。そんな衝撃的な未来を舞台にした小説です。
2020年から新型コロナウィルスを経験した現代の私たちにはもはや他人事とはとても思えない設定ですよね。が、本作が出版されたのは2018年のこと。その後のLGBT法案に関する騒動も含め、時代を先読みした小説だといえるでしょう。
兵役ならぬ「産役」を課された5人の若者を主人公として、物語は展開されてゆきます。
こんな方にオススメ
- 男性らしさや女性らしさといったジェンダーについて考えたい方
- ディストピア小説が読みたい方
- 戦争や少子高齢化といったテーマに関心がある方
男性からの何気ない一言に見る他者理解
「産役」に就き出産する男性は、国から資金を受けることができます。そこで、貧しい農村で暮らすショウマは「産役」と称する任務に志願し、パートナー契約(異性間における結婚のようなもの)をしてくれる相手を得るために、一般企業で働きます。
かつての日本では、お茶汲みやコピー取り、朝の簡単な掃除などを行う若い女性を採用し、結婚までの短期間働くという意味で「腰掛けOL」と表現していた時代がありました。ショウマは「腰掛け産役男」として労働することになります。そんなあるときの出来事。
「どけや、デカドブス」
引用元:田中兆子『徴産制』(新潮社)
体が硬直する。男はもう目の前から消えていて顔はわからないが、確かめたくもない。いかにも柄が悪そうな男に怒鳴られたのではなく、ショウマの会社にいるような普通のサラリーマンにつぶやかれたのが、かえって恐ろしさを感じた。会社の同僚たちも心のなかでそうつぶやいていたのかもしれないと思うと、このまま地上から消えてしまいたくなった。
ショウマは、「産役」に就くにあたって性別を女性に変えます。しかし、性別が変われば誰もが羨む美女になれるのかというと、そうではありませんでした。ショウマは、自分の男らしい顔付きや体型に、自分でも悲しい気持ちになる見た目だと嘆きます。そうした自覚があるショウマにとって、あくまで普通の一般男性に外見をけなされるのは大変辛い出来事でした。
これは、一人の人間が性別を変えることで得られた気付きなのではないかと思います。かつての日本では、お酒の席などで男性同士が女性の外見の評価を口にすることはしばしば見られることでした。実際に女性が目の前にいたら言えないようなことまでも男性が考えていると知って、知らず知らずのうちに傷付く女性は多いのではないでしょうか。
逆もまた然りです。女性が男性のステータスを話題に出したり想像することは、特に結婚相手を探す場で未だによく見られる光景ではないかと思います。相手の方の本質的な内面をどこまで理解したうえで関わることができるか? これは、相手の方に対する礼儀として一考する必要がありそうです。
男女の性役割
別の章では、お金を得ることができて、なおかつ女性になる機会を得られることに喜びを感じるキミユキが、妻であるサクラとの意見の相違を体験します。キミユキの性別変更を娘は受け入れられるものの、妻は受け入れることができません。
「それ本気で言ってんの?」
引用元:田中兆子『徴産制』(新潮社)
産役に志願したいと話すと、サクラはきつい声で問いただした。
「私は男のキミユキと結婚したの! 自分の夫が女性になるなんていやに決まってるでしょ。もっとヤなのが、自分の夫が男性とセックスすること!」
この夫婦の場合は、妻が働き頭で夫は専業主夫に近い生活をしています。かつての性役割が逆転した状態ということです。この物語は意外な結末に落ち着くのですが、なんと言っても夫の方が自分の性別を変えることができる点に対する抵抗が少ないのが驚きです。もし「徴産制」という制度が現実化したら、キミユキのように男性や女性という区別が曖昧になっていくのだろうな…と思わざるを得ませんでした。
太平洋戦争から現在、現在から少子高齢化の未来へ
本書の初版は2018年発行です。太平洋戦争が終戦となったのが1945年(2018年の73年前)、本作の舞台が2092年(2018年の74年後)ですので、小説が書かれた時期は両者のちょうど中間点ということになります。約70年の時を経て徴兵制が繰り返される、という見方も可能でしょう。
「徴産制」という制度はにわかには受け入れがたい制度ですが、科学技術の目覚ましい発展と日本の少子高齢化を考えると、それほど現実離れした設定であると言い切ることはできないなと思います。
本小説では、過去の徴兵制と「徴産制」を絡め合わせて美醜格差、パンデミック、慰安婦、核問題、性の自由選択…などなどテーマがたくさん盛り込まれています。過去から未来への転換点として、いま私たちに何ができるのか? あらためて考えさせられる小説でした。
関連書籍
- 吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中央公論新社):皇軍として日本のために太平洋戦争を生きた兵士たちの実態を知るための一冊。陸海軍の戦略や国家間の利害関係を分析した研究はたくさんありますが、一兵士の実体験に基づく証言を義務教育で学ぶ機会は少ないでしょう。テーマの重みから若者にどこまで伝えてよいかという事情もありそうですが、本書は生々しくも悲惨な手記を複数取り上げ、客観的に分析している良書です。第30回アジア・太平洋賞特別賞受賞、209年新書大賞受賞。別記事で紹介していますので、宜しければご参照ください。
- 社会応援ネットワーク『図解でわかる 14歳からのLGBTQ+』(太田出版):性的少数者の人権についての話題は今後も重要テーマとなるものと考えています。基礎知識を得たい方は、まずはこちらをお読みいただければと。別記事で紹介していますので、宜しければご参照ください。
- 磯田道史『感染症の日本史』(文藝春秋):感染症の歴史に興味がある方は『武士の家計簿』でおなじみの磯田道史氏の書籍が参考になると思います。江戸時代は今よりも医学・薬学が未発達だったので、疫病の流行はまさに生死を分ける大事件でした。約20年おきに麻疹の流行があったようです。スペイン風邪が流行した当時の政治家や一般市民の日記などからも、三密回避の重要性が透けて見えてくる良書でした。別記事で紹介していますので、宜しければご参照ください。
最後まで読んでいただき有難うございました!
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