2016年、障害者施設の元職員による障害者殺傷事件が起きました。とても凄惨な事件で、加害者の揺るがぬ主張に驚きを覚えた方も多いことでしょう。今回は、事件現場となった津久井やまゆり園でかつて自身も勤務していたという、社会学者の西角純志氏による一冊をご紹介します。
2019年には障害者の参議院議員が登場し、また2020年にはALS(筋萎縮症側索硬化症)患者に対する嘱託殺人事件が明らかになりました。旧優生保護法下で同意なく手術を受けさせられた、といった訴訟も生じています。
こうした昨今の状況を踏まえ、障害者とその家族、そして関係者を取り巻く課題は、従来よりも多くの人に認識されつつあることと思います。本書を読むことで、あらためて事件の実態を振り返り、優生思想の核心を考える材料となれば嬉しいです。
本書は、社会的に大きな影響を与えた事件の加害者および被害者・被害者遺族の残した手記や発言内容が掲載されています。本記事ではすべての方が安心してお読みいただけるよう最大限の配慮をしておりますが、実際に本を読む際には少しばかりの心構えが必要となることを申し添えておきます。
こんな方におすすめ
- 相模原障害者事件の全貌を知りたい方
- 障害者支援に関心がある方
- 障害者とその家族、支援者の実態について理解を深めたい方
相模原障害者殺傷事件と著者の関係性
著者は社会科学者で、この事件で亡くなった犠牲者のうち7名の方の生活支援を2000年代に担当していました。事件現場がかつての職場であるというだけでも大変な動揺があると思います。加えて、被害に遭われた方の人柄を知っていることが、さらなる心痛・悲嘆を呼び起こしたことでしょう。
この裁判は、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者など45人が次々に刃物で刺され、入所者19人死亡、職員を含む26人が重軽傷を負った事件の裁判員裁判である。
引用元:西角純志『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件——裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店)
著者は、ユダヤ系政治哲学者ハンナ・アーレントによるアイヒマン裁判の傍聴記と同じように、この障害者殺傷事件を社会学者としての視点も踏まえて記録し続けました。
加害者に接見し、手紙のやりとりをし、裁判を傍聴する。一連の作業は長期間にわたり、また苦痛を感じながらの記録であったと想像します。しかし、客観性を重視した論理的な文章で書かれており、この点が社会派記者の書く文章と異なる点でしょう。
記者には他の事件を調査・執筆する必要があるため一つ一つの事件に長く関わりづらいでしょうし、また時には大衆に訴えかけるような感情的な記述も手法として求められるはずだからです。
加害者が選んだ攻撃対象の基準とは
本書では、実際に被害に遭われた施設の利用者、障害者の方のご家族による心情意見陳述や、職員の供述調書、友人たちの証言が収録されています。加害者の思想や人物像を知る意味で、これらは極めて有意義な情報といえるでしょう。
加害者は障害者を対象に凄惨な事件を起こしましたが、実は攻撃対象を無作為に選んだのではありません。加害者は、「意思疎通ができるか」否かで攻撃対象の障害者を選択していたのです。
犯人は扉を開けて、「しゃべれるのか、しゃべれないのか」と聞いた。
引用元:西角純志『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件——裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店)
犯行時、院内で被害にあった職員の証言に上記のような発言がたびたび登場します。加害者にとって「意思疎通ができるか」とは具体的に、「他者と会話ができるか」ということだったようです。
こうした問いかけが、加害者が攻撃対象を選別する目的で発せられていることに気付いた職員は、施設の利用者を守るため、だんだんと「しゃべれる」と答えるようになります。「使命感」といったありふれた言葉を用いることにやや抵抗がありますが、自分が職員だったらきっと同じ行動をとるだろうなと考えさせられました。
論理的な会話ができない場合でも、継続的にコミュニケーションをとれば、笑顔などの表情や目線で相手の方が考えていることはなんとなく分かるケースも多いでしょう。だからこそ、時に戸惑いながらも幼児を育てることができるし、海外旅行の際に、慣れない外国語を駆使しながら身振り手振りで現地の方に思いを伝えようとするのではないでしょうか。
加害者が攻撃対象を決めるということは、「加害者自身が開いた法廷で審判をくだす」という捉え方ができると思います。「加害者が審判をくだす」ための質問に答えるということは、「加害者の審判を支える情報提供を行う」と考えることができるでしょう。
自分の回答いかんで人の命が奪われてしまうかもしれない、と考えると非常に恐ろしいものがあります。
掟の門から考える
本書を語る上で外せないのが、『変身』でお馴染みのフランツ・カフカによる長編小説、『訴訟』に出てくる寓話、『掟の門』です。著者は、この『掟の門』を加害者に読んだ上で、感想レポートも書くよう依頼しました。
カフカの『掟の門』のテキスト解釈は論者によって異なるが、法と「法外なもの」をテーマにしていることに共通点が見出だせる。法と「法外なもの」を線引きする「境界」は何か。そして、法・正義・暴力とどのような関係にあるのだろうか。こうした問いに応えるために、被告にも『掟の門』のテキストの感想をもらった。
引用元:西角純志『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件——裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店)
『掟の門』に対する著者の解釈と、加害者から提出されたレポート内容の解釈については、たいへん哲学的です。ぜひ読者の方ご自身でも考えを深めていただきたいポイントです。
匿名報道のあり方とは
もう一つ、この事件を考えるうえで欠かせないのが、被害者の名前が明かされず、匿名報道の形を取ったことです。
今回の裁判員裁判は、異例の「匿名審理」である。この事件では、事件当初から「犠牲者は障害者だから」「遺族の意向」と称して警察当局は犠牲者の性別と年齢しか公表しなかった。警察による「匿名発表」、メディアによる「匿名報道」そして、裁判においても「匿名審理」である。公判では、犠牲者「甲」、被害者「乙」、職員「丙」の3グループに分けられアルファベットが割り当てられている。
引用元:西角純志『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件——裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店)
この事件は障害者を攻撃対象とした事件です。優生思想に基づく差別感情が、世の中に少なからず存在していることを認識させたとも言えるでしょう。
こうした状況で、被害者の名前を公開すると被害者家族にさらなる被害が及ぶのではないかという恐怖や、その他いろいろな事情を勘案すると、職員を含め匿名で審理を行ったことはなるほど妥当であるように思われます。
しかし一方で、匿名のままであるということは、被害者がどのような人物であったのか輪郭がぼやけ、個性を与えられず、ある意味で人権が奪われていると言うこともできるでしょう。
正解は誰にも分からないというところですが、本書に掲載された被害者家族の手記や被告人質問の一部を読んでいると、今後の匿名報道のあり方について思いを巡らさずにはいられないでしょう。是非、本書を手に取ったすべての読者に自身で考えを深めていただきたいです。
関連書籍
- フランツ・カフカ『変身』(出版社多数):カフカの傑作『変身』。ある朝目覚めると、なんと自分の姿が虫になっていた!カミュの「ペスト」が集団に対する不条理を描いている一方、こちらは個人に対する不条理が描かれていると言われています。今まで身を粉にして働いてきたのに、姿が変わったとたんに周囲の態度も変化していきーー。ラストは考えさせられます。私は人になるまで恥ずかしながら読んだことがなく、英語で初めて読みました。何故読んでこなかったかというと、虫が苦手だからです…。少なくともラダーシリーズの本では虫のイラストは微塵も出てきませんので、まだ読んだことがない方は英語の勉強も兼ねてチャレンジしてみましょう。
- フランツ・カフカ『訴訟』(光文社):こちらは、著者が加害者に感想レポートを書くように依頼した寓話、『掟の門』を読むことができます。
- 綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社):数々の知識人による知見や指摘を引用しながら、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫り、差別・反差別の本質を明らかにしようとする一冊です。とても論理的で知的な考察がなされています。
- 荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』(筑摩書房):脳性マヒ者によって結成された団体「青い芝の会」の活動から、障害者差別を考える一冊。障害のある子を持つ親の主張、コロニーの建設、優生保護法など一連のテーマを通じて、多様性を受け入れる社会のあり方について考えさせられます。青い芝の会は「愛と正義」を否定しました。障害者は恩恵を受けるだけの存在ではない。高度経済成長期に急激に合理主義化・資本主義化していくなかで反差別運動が高まったことは、今後の未来においても重要な意味を持つと思います。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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実は、私は障害者の方に寄り添うボランティア活動を数年間、続けています。もちろん、中には言葉を使っての意思疎通が難しい方もいらっしゃいましたが、こうした理由で生きる権利を否定する考えがあることに驚き、また大きな憤りを覚えたのです。