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【書評】言論統制に検閲…国民の戦争熱が高まった背景とは?「帝国日本のプロパガンダ」を読む

【書評】貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』(中央公論新社) 書評

ロシアのウクライナ侵攻から約1年半。長引く戦争に胸の痛みを感じるばかりです。遠く離れた日本においては戦禍を身近に感じにくいものの、物価高などの形で間接的にその影響を受けていますよね。

今回の戦争では、SNSを活用した市民の戦争参加も話題になりました。フェイクニュースも氾濫し、現代における戦争では、武力以外の要素が重要になってきたのだなと感じます。

さて、日本が最後に経験した先の大戦ではどうだったか。

アジア太平洋戦争期は、一般市民の手紙・封書は検閲によって中身を軍にチェックされたと聞きます。検閲を免れるため、表現を本来の意味から大幅に変えて手紙をしたためたという証言もありますよね。

事実と異なる形で表現したという点でいえば、これは一般市民にのみ見られたわけではありません。大本営からの発表には、事実と異なる戦果を報道するケースが多々ありました。こうした歴史から「大本営発表」という言葉をネガティブな意味で使う方も少なくないことでしょう。

いずれにせよ、当時の日本は戦争勝利という目的に向かって言論を統制し、思想の統一を目指していました

プロパガンダは過去のものなのでしょうか。2023年3月には、放送法を巡る問題についての高市早苗大臣の答弁が連日話題となりました。この放送法問題については以下のNHKのサイトがわかりやすく解説しています。

「官邸が政治的圧力をかけ報道の自由を奪おうとした」という疑惑が生じた点に、一つの論点があるといえるでしょう。もしこれが事実であるならば、一種のプロパガンダということができるからです。

以上の背景を踏まえて、今回は貴志俊彦氏の『帝国日本のプロパガンダ』をご紹介します。現代の戦争を考えるうえでも、また、日常生活で目にするメディアに触れる際にも考えさせられる一冊です。

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こんな方にオススメ

  • 日本が過去に経験した戦争におけるプロパガンダを知りたい
  • 報道関係者の戦争責任に関心がある
  • 近現代史をプロパガンダの視点から眺めたい

日清戦争期からアジア太平洋戦争直後までのプロパガンダ史

本書が検証対象として取り扱うのは、日清戦争からアジア太平洋戦争直後の占領統治期に至る約半世紀です。おおむね10年刻みで、各時代における政府・軍部、報道界、国民の三者の関係をとおして、プロパガンダの主体の変容過程を紹介していきます。

実は、私はプロパガンダ=「アジア太平洋戦争における大本営発表」という印象を強く持っていました。ところが、なんと日清戦争期にプロパガンダはすでに存在していたのです!

 日清戦争に対して最初に熱狂したのは、没落気分を打ち消す機会と捉えた士族や、戦争を進歩(文明)のための戦いとして理解した福沢諭吉や内村鑑三のような知識人であった。当初、一般市民はさほどこの戦争に興味を持たなかったが、彼らの関心に火をつけたのは、石版印刷によって大量発行された戦争錦絵だったのである(藤村 一九九二)。

引用元:貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』(中央公論新社)

日清戦争期は、戦争錦絵という形式が庶民に広く受け入れられていたようです。日清戦争は、江戸時代も終わり明治維新を経た明治27年に勃発。当時、急速に人気を高めていた写真が戦闘シーンを撮るには技術的な課題があったようです。

そして、売り手にとっては利益が多く、かなりよい商売だったようです。

 さて、戦争錦絵である。発売拠点は、東京市日本橋区周辺。日清戦争の開戦からわずか二週間の間に、どの絵草紙屋でもすでに数十種の錦絵を販売していた。なかには一日に刷れる限界の約二〇〇枚(これを一杯と数える)の三〇倍もの量を販売した業者がいた。また錦絵業者のなかには、戦争錦絵の販売で一万円から、多ければ一〇万円以上もの儲けを手にした者もいたというから驚きである(『読売』一八九四年八月一四日)。当時、大判錦絵の価格は三枚一組でせいぜい六銭(一円=一〇〇銭)。それだけに、戦争錦絵を売る絵草紙屋の利益は想像を絶する額であったことがわかる。

引用元:貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』(中央公論新社)

この本の良いところは、当時流通していた実際の戦争錦絵が多数掲載してある点です。とても勉強になります!

第一次世界大戦期の報道ビジネス

日本は、1914年8月23日に第一次世界大戦期に参戦しました。日英同盟を結んでいたイギリスが8月4日、ドイツに宣戦布告したことを受けて参戦に至ったとされています。…といった表向きの理由もありますが、日露戦争での莫大な戦費を賄うために発行した外債の返済金が国家財政を圧迫しており、上述した外交上の理由とは別に経済上の問題解決のために参戦したという背景もあったようです。

当時はほとんど毎日のように戦況写真が新聞に掲載されていました。紙面を写真で覆いつくす形で戦争の迫力を伝えるスタイルが広がっていったようです。こうした報道では、多額のお金が動いていました。

 国民は、イギリスとともに戦った日独戦争をどのように見ていたのだろうか。じつは、経済の回復や領土の拡張は、政府のみならず国民の側も心から期待していたことであった。新聞社は、世論に沿うかたちで競って報道合戦を展開し、出版界もこれに呼応。戦争を煽ったほうが、新聞も出版物もよく売れたからである。こうして報道界はビジネス化し、戦意高揚をはかるプロパガンダのシステムが形成されていく。その引き金としての役割を果たしたのが、ほかならぬ新聞や雑誌に掲載された戦況写真であった。

引用元:貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』(中央公論新社)

令和の現代においても、週刊誌の加熱報道が常態化していますよね。「ここまで載せる必要はないのでは…」という声も多く聞かれますが、詰まるところは「読者が求めているから載せる」ということになるのだと思います。

報道ビジネス、どう思いますか?

会社の存続には利益を出す必要があるわけで、やはり読者の求める情報を提供する必要があるのだと思います。しかし、このために特定の人びとの個人情報が公開したり、報道の場で強い批判を展開するのは、どこか人権上の問題があるような気がしてしまいますね。

アジア太平洋戦争期における言論封殺

アジア太平洋戦争期に入ると、報道界および文化娯楽業界は内閣情報局のもとで取り締まりを受ける対象となりました。

 報道界にとって致命傷になったのは、一九四一年一一月に閣議決定された「新聞の戦時体制化に関する件」である。この決定のもとで、産業統制機構として統制会を設置。これは、全国の新聞の統合、新設、資材の配給調整をおこない、国策に沿うよう、新聞社の経営と編集の改善を促す組織であった(内川 一九七五)。
 その翌月、アジア太平洋戦争が勃発すると、「新聞事業令」「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」などが次々に公布された。これらの法令によって、政府は流言飛語を取り締まるだけでなく、時局にそぐわない報道をおこなったと判断した場合、行政処分によって新聞の発行を停止できるようになる(朝日新聞百年史編修委員会 一九九一)。

引用元:貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』(中央公論新社)

放送法問題もそうですが、国家が政治的に報道の自由を奪うということになると、報道機関が自由な言論活動を展開することができなくなってしまいます。かつ、国家公認のフェイクニュースが巷に溢れてしまう可能性が大幅に高まるわけで、結果的に国益になるとは思えません。末恐ろしささえ感じてしまいます。報道の取り締まりを厳格化している国が存在するのは事実ですが…。

現代の日本においては、報道機関は原則、中立的な立場で放送を行ったり記事を公開しています。とはいえ、各社それぞれ個性があり、取り扱うテーマや社説から政治的主張が透けて見える実態を踏まえると、完全に公平中立な形で報道活動をするというのは難しいのでしょう。各社の違いを比較することで視野が広がる部分もあります。

現実的な落としどころとしては、報道機関に一定以上の自由を許容したうえで、報道がもたらす利益を国民が享受するのが良いのかもしれませんね。

関連書籍

  • 辻田真佐憲『空気の検閲』(光文社):今でこそ日本は表現の自由がある程度担保されていますが、戦前~戦後にかけては言論統制がなされていました。本著のなかで、検閲対象となった出版物・メディアのみならず検閲官の業務多忙についても言及されているのが興味深いです。検閲官の業務負荷を軽くする意味合いでも、出版者などに空気を読んで事前対応してもらう。これは日本独特の文化である、現代の根回しに通ずるのかなと感じます。

  • 辻田真佐憲『超空気支配社会』(文藝春秋):辻田真佐憲氏の良質な評論集で、日本人の価値観や文化というものを考えさせられる一冊。別記事でも紹介していますので、宜しければお読みください。

  • 瀬川至朗『科学報道の真相: ジャーナリズムとマスメディア共同体』(筑摩書房):科学に関する報道の実例を挙げ、メディアの在り方を考察する書。STAP細胞、原発事故、環境問題についての報道を俯瞰して丁寧に分析しています。特に原発事故報道の分析は秀逸です。一般市民のメディアに対する批判もさることながら、全員が納得する公平性・客観性を報道機関が担保することは難しいよなぁ…とあらためて実感させられます。別記事でも紹介していますので、宜しければお読みください。

  • 一ノ瀬俊也『飛行機の戦争 1914-1945 総力戦体制への道』(講談社):「飛行機は少年達の憧れだった」アタック25で有名な故児玉清さんが当時を振り返っての言葉です。第一次大戦は軍人による白兵戦や海戦、第二次大戦は一般市民による空戦が主戦力として取り扱われるようになりました。未来の戦争は、人間さえも介在しないAIによる殺戮のみとなるのでしょうか。

最後までお読みいただき有り難うございました!


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