ロシアのウクライナ侵攻に加えて、ガザでの紛争が世界で大きな影響を与えています。戦争によって命が奪われている実状に憤りと悲しみの感情を抱くものの、自分に何ができるのだろう、と悩む方も少なくないことでしょう。
特に、近年のガザ紛争では、イスラエルの非人道的対処に国際的な批判が寄せられ続けています。こうした行動の背景については、ユダヤ民族やパレスチナ分割の歴史から紐解いて考えていきたいものですが、そもそも日本人の多くは中東情勢に疎いがゆえに、その政治的妥当性を判断しにくいというのが本音ではないかと思います。
そんな問題意識を持つなかで出会ったのが、今回ご紹介する佐藤優氏の『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』です。佐藤優氏は対ロシア外交の任にあたった元外交官で、石破茂前首相と同じ宗派(プロテスタントのカルヴァン派)に属するキリスト教信者。
ちなみに、ドナルド・トランプ米大統領もカルヴァン派に宗教的な背景を持ちます。このような経緯から、石破茂氏の首相就任、ドナルド・トランプ氏の大統領就任にあたって、両者の思想的背景を佐藤氏が各誌で解説しているのをお読みになった方もいることでしょう。
佐藤氏によれば、日本の外交官の多くは親アラブに偏った考えを持っているとのこと。一方で、佐藤氏自身は親イスラエルの立場を取ります。
今回の書評記事は、KADOKAWAから2020年に出版された文庫本を元に執筆しました。
KADOKAWA版は、2015年にミルトス社から刊行された内容を改題のうえ、加筆修正したものです。以上の経緯からわかるように、原稿が書かれたのは2009年~2013年頃、つまり、KADOKAWA版出版の約10年ほど前と若干の古さは否めません。
なぜこの文章が、2020年に加筆修正のうえKADOKAWAから出版されたのでしょうか? 私は、本書には時事的な話題が盛り込まれつつも、その内容に普遍性が見られたからではないかと思います。
2023年からのガザ紛争を読み解くうえでも考えさせられる点が多い本書について、見ていきましょう。
こんな方にオススメ
- 佐藤優氏の経歴に関心がある
- イスラエルの価値観や思想が知りたい
- 日本人の民族意識について考えたい
著者の逮捕容疑について
さて、佐藤優氏といえば鈴木宗男氏との関係や北方領土問題など、さまざまな話題が浮かびます。なかでも強烈なのは、東京拘置所に拘留された経歴かもしれません。詳しい経緯は『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)に書かれているとのことですが、本書でもたびたびこの経験が示されます。
筆者が逮捕された容疑は背任だ。二〇〇〇年四月にイスラエルのテルアビブ大学が主催した国際学会「東と西の間のロシア」に袴田茂樹青山学院大学教授、田中明彦東京大学大学院教授、末次一郎安全保障問題研究会代表(二〇〇一年に逝去した陸軍中野学校出身の社会活動家。北方領土返還運動に従事)たちを派遣したときの費用を外務省関係の団体「支援委員会」から支出したことが背任に問われたのだ。
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
この出張は、外務省の外務事務次官、外務審議官、欧亜局長、国際情報局長などの決裁を得ている。学会は、欧米、ロシア、イスラエルから政策に影響を与える有識者が参加し、四〇〇字詰め原稿用紙に換算すると約六三〇枚の報告書も作成した。学会の後、ゴラン高原とマサダの要塞を視察した。テルアビブ大学の費用負担で招待によるものだ。これが「遊び」というのが検察の見解だ。
冗談もいいかげんにしてほしい。(後略)
獄中の佐藤氏に手を差し伸べたのは同行した日本人ではなく、他ならぬユダヤ人たちだったと言います。そんな経験もあり、著者はイスラエルに対して親密さが増したのでしょう。
実は、私は幼少期に、ユダヤ系の友達と2年ほど同じ学校で時を過ごしたことがあります。本書を読みながら何度も思い出されたのは、この友達のお父さんが学校でユダヤ民族の歴史を語ってくれた会のことでした。
幼い私が当時、お父さんのお話をどう捉えたかは残念ながら記憶にありません。しかし、家族のことについて、お父さんが目線を落としながら声を絞るようにお話ししていた姿を、うっすらとですが覚えています。ホロコーストについての話題だったのだと思います。
過酷な経験をしてきた民族にとって、家族や友人との関わりが大きな価値を持つことについて疑念を挟む余地はないでしょう。宗教観としても、仲間を大切にすることが当然だと捉えているのかもしれません。
全世界を敵に回しても生き残る
国家・民族に対する考え方は、次の記述からも明らかです。
しかし、ハマスがイスラエル国家に対する破壊活動を本格化することを看過するほどイスラエル人はお人好しではない。第二次世界大戦時、祖国をもっていなかったために無辜の六〇〇万人ものユダヤ人が虐殺された。その教訓から建国されたのが、現在のイスラエル国家だ。「全世界に同情されながら滅亡するよりも、たとえ全世界を敵に回しても生き残る」というのがイスラエルの国是だ。
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った背景には、周辺諸国がNATOへ接近していったこともその要因の一つだという指摘があります。「全世界を敵に回しても生き残る」という発想に至らざるを得ない状況というのは、それだけ大きな危機感を抱いてることの証左なのでしょう。
日本でも、移民受け入れに関する議論が盛り上がっています。私自身は、少子高齢化が進む日本では海外からの人材を受け入れて共生社会を築いていくのがベストではと考えています。移民反対を強く主張する方にとっては、治安の悪化に対する懸念などの危機感の方が、極めて大きな問題として認識されているのでしょう。
キリストの幕屋
移民受け入れにNOの立場を明確に示したのが、2025年の参院選で大きな脚光を浴びた参政党です。党首の神谷宗幣代表は、「キリストの幕屋」という宗教団体との関連が指摘されています。
この「キリストの幕屋」という宗教団体について、本書でも記載がありました。以下の引用は本書からの孫引きで、財津正彌氏の著書『キリストの火に 手島郁郎とその弟子たち』が原典となります。この引用部分を読んでいると、「キリストの幕屋」(手島郁郎氏が創始者)の民族観がイスラエルと極めて親和性が高いことがよくわかります。
書きながら内心に突き上げてくる思いがあった。かつて私たち日本人は、未曾有の敗戦の苦しみから必死に起ち上がってきたが、今こそ我ら日本民族は第二の起ち上がりを、それも民族精神の根本からの立ち直りを遂げねばならないのではないのか……。
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
その点、手島郁郎という先生は、キリストの弟子であったが西洋かぶれの風など微塵もなく、骨の髄まで大和魂で培われた日本人であった。その伝道においても、日本精神を強調してやまなかった。というのは、この先生は「大いなるもの」に命を捨ててかかる日本人のほうが、個人主義に重きを置く西洋人よりも遥かに福音書のキリストに近いと、体験からの確信に立って叫んだ。するとキリストもこの先生の伝道に、福音書そのままの御働きをもって答えたまい、確かなる裏付けをして下さった。こんなにも大事な日本精神を見失ってどうするか! というのがこの先生の口から常に飛び出す言葉であった。
なお、佐藤優氏は、母校同志社大学・大学院の先輩かつ「キリストの幕屋」に所属した財津正彌氏に敬意を抱いており、財津氏の著書『キリストの火に 手島郁郎とその弟子たち』を読むことを勧めています。
(中略)財津先生は、戦争中、海軍甲種飛行予科練習生として従軍し、戦後、キリスト教徒になり、同志社で学びました。一九五五年に同志社大学大学院神学研究科修士課程を修了し、日本基督教団の教職者になりますが、一九六二年に原始福音キリストの幕屋に移ります。『キリストの火に』を読むと、財津先生が、真のキリスト教徒であり、真の日本人とは何であるかという日本人キリスト教徒が抱えざるを得ない根本問題に正面から取り組んでいることがわかります。
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
さいごに
ここまで、イスラエルの民族意識と2025年時点での日本の政治とを関連づけて紹介してきましたが、佐藤優氏自身の思想についても触れておきます。以下の記載からも、愛国心があり強い責任感を持って職務にあたっていたのは明らかです。右派か左派かでいえば、右派に属するといえるでしょう。
「いいか。日本の外交官は、日本国家だけを、日本国民だけを愛するんだ。それがわれわれの職業的良心だ。戦争でどこかの国が消えてしまうようなことがあっても、日本の国益に関係がなければ、黙っている。それが外交官という職業なんだ」
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
Q君も御案内の通り、私は外交官でした。国際基準で外交官は無限責任を負う職業です。無限責任とは、生命と職務遂行を天秤にかけるような状況が生じた場合、職務の方が重くなることを指します。
引用元:佐藤優『イスラエルとユダヤ人 考察ノート』(KADOKAWA)
しかしながら、左派系メディアへも記事を多数寄せている点や、根拠を示しながら論理立てて文章を重ねていく姿は、一部の極端な右派に見られるような「特定のコミュニティに閉じた言論活動」とは一線を画していると所感を抱きました。
特に、書籍や新聞記事の引用がかなり多く、産経新聞や朝日新聞といった政治的な立場が両極とされる新聞記事から、海外国営メディアの報道内容まで守備範囲がとても広い。議論を展開する際の手法や、情報収集のあり方ついても考えさせられる一冊でした。
関連書籍
- 佐藤優『読書の技法』(東洋経済新報社):月平均300冊を読むという佐藤氏の読書法を垣間見ることができる一冊。
- 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社):
- 田中孝幸『13歳からの地政学: カイゾクとの地球儀航海』(東洋経済新報社):読者が選ぶビジネス書グランプリ2023「リベラルアーツ部門賞」受賞。世界で起きている軍事衝突や紛争を読み解くうえで、かつてよりも地政学の分野の知識が求められる時代になってきました。
- 高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側 -』(ワニブックス):この記事の冒頭でも述べたとおり、日本人の多くは残念ながら中東情勢に疎い。私も語れるほどの知識はありません。放送大学名誉教授でもある高橋和夫先生の著書が知識を深める一助となるかと思い、参考書籍に挙げます。
- 阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』(新潮社):国立国会図書館に勤めながら執筆活動を続け直木賞も受賞した阿刀田高氏の古典入門書の一部です。
- 池上彰『独裁者プーチンはなぜ暴挙に走ったか 徹底解説:ウクライナ戦争の深層』(文藝春秋):ロシアとウクライナの歴史を学ぶならこの一冊から。中国共産党についての話題も勉強になります。記事を書きましたので、宜しければお読みください。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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