2024年、アジアかつ女性の作家が初めてノーベル文学賞を受賞するという快挙を成し遂げました! 受賞者は韓国のハン・ガン(韓江)氏。
韓国文学が日本語で気軽に読めるようになったのは2010年代頃からだったでしょうか。比較的最近ということもあって私は韓国出身の作家さんに疎く、ハン・ガン氏についてもノーベル賞受賞をきっかけにその存在を知りました。
今回ご紹介するのは、ハン・ガン氏の代表作として知られる『菜食主義者』です。日本では2000年代に「草食系男子」という言葉がかなり流行りました。「草食系男子」とは「恋愛にガツガツと接触的になれない男子」という具合の意味ですから、本作は「ほんわかした癒し系小説かな?」とぼんやりイメージしていたのですが、むしろ逆。暴力性について考えさせられる作品でした。
さっそく紹介していきます!
こんな方にオススメ
- ノーベル文学賞受賞作家の作品に触れてみたい
- 韓国文学に関心がある
- 家族のなかにある力関係や生きづらさについて考えてみたい
肉食を拒むようになったキム・ヨンヘを巡る、連作短編集
本作品は連作短編集で、以下の3つの物語が収録されています。いずれも、突然肉を食べなくなったキム・ヨンヘをとりまく人々の視点から語られていきます。
- 菜食主義者
- 蒙古斑
- 木の花火
菜食主義者
何の変哲もない平凡な女性が、ある日見た夢をきっかけに肉食を拒むようになってしまいます。本作では、夫の視点から語られていきます。
妻が用意した夕飯はサンチュと味噌、牛肉もアサリも入っていないワカメのすまし汁とキムチ、それで全部だった。
引用元:ハン・ガン(著)、きむ ふな(翻訳)『菜食主義者(新しい韓国の文学 1)』(クオン)
「何だよ。それで、その夢か何かのせいで肉を全部捨てたというのか? 一体いくらしたと思ってるんだ?」
私は椅子から立ち上がり、冷凍室のドアを開けてみた。がらんとしていた。冷凍室の中には、はったい粉と唐辛子の粉、凍った青唐辛子、みじん切りにしたニンニク一袋が入っているだけだった。
蒙古斑
通常であれば子どもにしか存在しない蒙古斑が、大人になった今もヨンヘの身体に残っているという事実を知った義兄(ヨンヘの姉の夫)。本作では、芸術家の義兄の視点から語られていきます。
(中略)退化した、すべての人間からなくなった、子どもの尻と背中だけを覆う斑点。赤ん坊だった息子のお尻を初めて触ったときのやわらかい感触の喜びと重なって、一度も見たことのない彼女の尻が、彼の内側で透明な光を放った。
引用元:ハン・ガン(著)、きむ ふな(翻訳)『菜食主義者(新しい韓国の文学 1)』(クオン)
木の花火
『蒙古斑』で起きた事件によって、ヨンヘは精神病院で過ごすようになります。本作では、姉の視点から語られていきます。
西側の廊下のあそこで逆立ちをしている奇妙な女性患者を見たとき、彼女はそれがヨンヘだとは想像すらできなかった。電話で話した看護師が彼女をそこに案内したとき、やっとヨンヘの量が多くて長い髪を確認することができた。肩を床について逆立ちをしているヨンヘの顔は、血が集まってまっ赤だった。
引用元:ハン・ガン(著)、きむ ふな(翻訳)『菜食主義者(新しい韓国の文学 1)』(クオン)
もう三十分もこうしているのです。
看護師がもどかしそうに言った。
この作品をどう解釈するか
さまざまな解釈ができる作品だと思いますが、虐待経験や摂食障害に類する要素を含む作品ですので、そういった領域で対人支援の職にある方や関心がある方へは特に一読をオススメします。一方、そういった話に抵抗を感じる方は、今は読まない方が良いかもしれません。
また、この記事の冒頭でお伝えしたとおり、この小説には荒々しさを感じさせる暴力性が垣間見えるため、そういった作品が苦手な方も注意いただくのがよいでしょう。特に『蒙古斑』では性描写があるため、多くの人の目に触れやすい公共の場では一層気を遣うことになるかもしれません。私は混雑した電車のなかでは視線が気になり、読むのをやめました。
しかし、そうした要素がこの連作短編集を魅力的にしていることは揺るがせない事実でして、特に3作品のなかでも『菜食主義者』『蒙古斑』のラストは非常に衝撃的です。読み手として動揺せざるを得ない、映像が鮮明に浮かぶ描写でした。
『菜食主義者』のなかで、ヨンヘが卵や牛乳さえも受け付けない菜食主義者となっていく姿で思い出したのは、「摂食障害とは自分が何を食べるかを自分でコントロールする、要するに、虐待によって奪われた自立性を取り戻す営みの一つである」という考え方です。現代日本の感覚で言えば、本書で登場する男性陣ほぼ全員に一癖二癖あることに気づくことでしょう。
『蒙古斑』で義兄が破滅に進んでいく様子は臨場感があり、一種の真実を示しているようでもあり…。いろいろな人物が登場しますが、私は義兄の繊細な芸術家的感性に最も共感してしまった次第です。
『木の花火』では、家父長的な父親の有無を言わさぬ指示にどう対処するかが、姉妹での違いを生んだという見方ができるでしょう。この『木の花火』のみ、女性かつヨンヘの幼少期を知る姉からの視点となるため、そういう意味でも他の2作品と立ち位置が異なります。作品全体を統合する役目を担っていると解釈することもできそうです。
『菜食主義者』の出発点
著者あとがきには、このように書かれていました。
今から十四年前の早春、「私の女の実」という短編小説を書きました。一人の女がマンションのベランダで植物になり、一緒に暮らしていた男が彼女を植木鉢に植えるという話です。そしていつか、この短編小説の変奏を書きたいと思っていました。十四年前の私が予想していたものとはだいぶ違う作品になりましたが、『菜食主義者』というこの連作小説の出発はそのときから始まります。
引用元:ハン・ガン(著)、きむ ふな(翻訳)『菜食主義者(新しい韓国の文学 1)』(クオン)
「一人の女がマンションのベランダで植物になり」という物語性を強く感じさせるのが、『蒙古斑』のラストです。女性と男性、植物性と動物性、静と動、加害と被害。こうした視点を持ちながら連作短編集を読み進めると、さまざまな示唆が得られることでしょう。
関連書籍
- 間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房):機能不全家族で育った主人公を取り巻く家族史で、こちらの作品はSF小説です。暴力というキーワードで比較してお読みいただくと良いかと思います。記事を書きましたので、宜しければお読みください。
- 信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA):アダルトチルドレンブームの火付け役の一人となった臨床心理の専門家です。現在は日本公認心理師協会の会長です。家族内の暴力を考えるうえで非常に示唆に富む一冊です。記事を書きましたので、宜しければお読みください。
- カズオ・イシグロ(著)、土屋政雄(翻訳)『わたしを離さないで』(早川書房):同じくノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ作品の中から一冊。この作品は映画化されていますので、本は読んでいなくても作品名は知っているという方も少なくないことでしょう。
- カズオ・イシグロ(著)、土屋政雄(翻訳)『クララとお日さま』(早川書房):AF(人工親友)という存在のクララを主役に展開されるSF小説です。AFという概念は、『ここはすべての夜明けまえ』における融合手術とちょっと近いなと思います。幼さ・純朴さを感じさせる主人公という意味でも共通点があります。記事を書きましたので、宜しければお読みください。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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