精神疾患ということばを聞いたとき、皆さんはどのような疾患を思い浮かべるでしょうか?
私が心理学を学び始めた2000年代は、世間ではうつ病を思い浮かべる人が圧倒的に多かったように思います。それ以外にも、精神科領域では統合失調症、産業分野では適応障害、教育分野では発達障害、介護分野では認知症…。少なくとも、多様な精神疾患とともに暮らす方がいて、それと同じく治療者も存在しているということが言えるかと思います。
今回ご紹介する一冊は、放送大学の印刷教材(テキスト)として指定されている「精神疾患とその治療」です。編著者の石丸昌彦先生と糸川昌成先生のお二人をはじめ、執筆者全員が医師免許を持っており、実務経験があるという点でとても信頼のおける一冊です。
そのためもあってか、治療薬や法制度に関する基礎知識の解説は、私にはやや難解に感じられました。しかし一方で感じたのは、専門の世界の深みと、覚えなければならないことがまだまだたくさんあるという事実でした。
今回は、初学者向けの精神医学を学ぶ「精神疾患とその治療('26)」の印刷教材(テキスト)をご紹介します。
書籍は全国の書店などで購入できます。放送大学生でない方も、本科目の講義はBS放送などのラジオで視聴可能です。詳しい視聴方法は以下をご参照ください。
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本講座の基本情報
本講座「精神疾患とその治療」は、放送大学で開講されている科目です。
- 2026年度開設
- 放送授業(ラジオ配信)
- 生活と福祉コースの専門科目
具体的なシラバスはこちらからご参照ください。
放送授業はラジオで公開されており、書籍はAmazonほか各書店でお買い求めいただけます。各地域におけるテキスト取扱書店は下記をご参照ください。
こんな方にオススメ
- 公認心理師を目指している方
- 精神医学の基礎知識を学びたい方
- 「心の病」や「障害」という言葉の意味について考えてみたい方
目次
本書の目次は下記のとおりです。全15回の放送授業に沿った章立てとなっております。
1 精神疾患と精神医学
2 精神疾患の診断と診断基準
3 精神疾患の治療
4 統合失調症
5 うつ病と双極症
6 「うつ」をめぐるさまざまな話題
7 不安症と強迫症
8 ストレスがもたらすさまざまな反応
9 身体疾患と精神疾患
10 物質依存と行為依存
11 発達障害
12 摂食症とパーソナリティ症
13 老年期と精神疾患
14 精神疾患をとりまく法と制度
15 精神医学の過去・現在・未来
精神疾患は心の病なのか?
本記事では、書籍に書かれているそれぞれの疾患に関する個別具体的な説明を取り上げるのではなく、精神医学を語るうえでの前提や起源について言及していこうと思います。
まずは、精神疾患は「心の病」なのか? という問題提起です。本記事の冒頭に書いたとおり、2000年代に世間で注目を浴びていた疾患に「うつ病」があります。当時、このうつ病のことを「心の風邪」と表現することがありました。
この「心の風邪」という表現には、「いまは調子が悪いけれど、しばらくしたら直る」「誰でもかかりうる病気」というニュアンスが含まれているように感じられますよね。本書ではこの「心の病」という表現について、以下の言及があります。
精神疾患はしばしば「心の病」と呼ばれることがある。若い学生たちの意見を聞いても、自分が病気にかかったとしたら、「精神疾患」「精神障害」と言われるよりも「心の病」の方が柔らかくて受け入れやすいという者が多かった。
引用元:石丸昌彦、糸川昌成『精神疾患とその治療〔新訂〕(放送大学教材)』(放送大学教育振興会)
しかしある時、異論を述べた女子学生があった。精神疾患が「心の病」だとすれば、精神疾患にかかった者は「心が病んでいる」ということになる。しかし「心が病んでいる」という表現はもっと違ったこと、たとえば良心や同情心を欠く状態を指すものではないか。自分は「精神疾患」の方がよい、「心の病」とは呼ばれたくない、それが彼女の主張だった。
漫画家・中村ユキが統合失調症の母親との半生を活写した作品の中で、「お母さんの病気は脳の機能変調」と聞かされて安堵した逸話を描いている。お母さんの心が病んでいると思っていた間はつらかったが、脳の変調ならば治療すればよいのだと割り切れたと言うのである。精神疾患を身体の次元に切り下げることによって、人格の価値を回復したものと言えるだろう。
どちらが正しいかという問題ではなく、精神疾患と闘う際の心構えにはさまざまな方向性があり得るということである。それはまた、精神疾患を心理学的な破綻と見るか、それとも脳の機能変調と見るかという、精神医学史上の大問題に通じるものでもある。
私は今まで「心の病」の方が軽めで受け入れやすい言い方だなと思っていたので、この指摘を読むことで新たな視点に気づかされました。たしかに、「心の病」という表現の方が、「精神疾患」「精神障害」という表現よりも「人格に難あり」という印象を与えるように思われます。
また、「心の病」「心の風邪」という呼び方は疾患名が曖昧なこともあって、「医療につながらなくても自然に良くなるもの」「良くならないのはその人自身や周囲の努力不足」というニュアンスも生じるような気がしました。曖昧な表現というのは、優しいようでいて冷酷な場合もあるのかもしれません。
この印刷教材(テキスト)を読み終えたあとで、引用部分に挙げられている中村ユキさんのコミックエッセイを読みました。当事者の娘という立場で、母親とのエピソードを幼少期の思い出も含めて率直に語っていらっしゃいます。統合失調症という精神疾患の理解にも必ず役立つことと思います。皆さんも是非読んでみてください。
「障害」ということば
ところで、「精神疾患」「精神障害」という表現のどちらがより柔らかい表現かを考えてみるとき、多くの方は「精神疾患」を選ぶのではないかと思います。
ここで、「障害」ということばについても考えていきます。
もともと日本語の「障害」という言葉は、「けがや病気のために身体に不可逆の欠損を生じ、それが固定した状態」を指した。交通事故のために片脚を失った、といった状態である。その後、内臓の病気による機能障害なども含まれるようになり、障害に数えられる病態が増加するとともに、必ずしも不可逆ではない病態が障害に含まれるようになった。
引用元:石丸昌彦、糸川昌成『精神疾患とその治療〔新訂〕(放送大学教材)』(放送大学教育振興会)
(中略)
障害概念にはこのような歴史的変遷があったが、さらに事情を複雑にしたのは翻訳の問題である。DSM-Ⅲ以降、精神疾患の診断名として「○○病」に相当するdiseaseやillnessの使用をやめ、代わりにdisorderという言葉を用いることが英語圏では定着した。
disorderは、”dis-order”という語義からわかる通り「不調」「変調」あるいは「不具合」といった意味合いであり、diseaseやillnessに比べて重症感が薄い。一部の辞書では、わざわざ「(軽い)病気」と注記されている。DSMがdisorderという言葉を採用した一因はここにあり、精神疾患に対する過剰な警戒心を和らげる意味があったものと思われる。
日本語において、"disorder" の直訳は「障害」、"disease" や "illness" の直訳は「病気」が一般的です。そして、英語圏では "disease" や "illness" の重症感がより薄い意味合いとなる "disorder" の使用へ変わってきたということです。あれれ? 少し混乱してしまいますよね。
以上の経緯を踏まえて、目次からも分かるように本書では「~障害」ではなく「~症」という名称で表記されているものが多く見られます。たとえば、「摂食障害」ではなく「摂食症」という表現です。
私はボランティア活動で障害がある方とお話をする機会が時折あるのですが、「自分は障害者になってしまった」「障害者になるとは思っていなかった」という当事者の発言に出くわすことがときどきあります。「障害」という言葉には、「なんらかの境界を越える」という重みを含んだ響きがあります。
ただ、「自分はこういう病気だから」「病気の薬をもらってきた」という形で「病気」という表現を使っていらっしゃる場面も多く見られます。ここでの「病気」は、「相手への配慮」や「治療を続けていけば生活しやすくなる」というニュアンスがあり、より実用的で一般的・客観的な表現となっているように感じています。
精神医学の起源
最後に、精神医学の起源に触れた第15章を取り上げます。
古代ギリシャでは、精神症を神の祟り、動物が人に憑くといった考え方をしていた。古代エジプトで始まったナイル河畔の医薬品の原型も人の体内に入り込んだ霊を追い出すために発明されたという。
引用元:石丸昌彦、糸川昌成『精神疾患とその治療〔新訂〕(放送大学教材)』(放送大学教育振興会)
わが国でも狐憑きは最近まで見られていた。わが国で狐憑きが初めて文献に現れたのは今昔物語だったという。したがって、かれこれ700~800年は日本各地で狐憑きが見られたことになる(図15-2)。
狐憑きが現在のように精神疾患という自然科学的疾病と考えられるようになったのは、ごく最近のことであり、歴史上のほとんどの期間、それは共同体の儀礼として捉えられていた。
たとえば、白米を貸したのに返してくれないなど、家同士のトラブルが起きたとする。すると白米を貸した家の誰かが返さない、その誰かに狐が憑くという形でトラブルが顕在化する。すると、宗教者も立ち会って祈祷が行われ、「お詫びとお礼を兼ねて赤飯をもたせてくれれば帰りますよ」と憑依された人が語る形で解決が図られる。近隣の人々も参加して承認し、病者の治癒を見届けるといった共同儀礼として憑きもの落としが行われた。当時、狐は稲荷という神としても認識されていた。したがって、現在のように精神の病気としてではなく、狐が憑くことは神がその身に降りることと同じ意味でも捉えられていた。
アイヌ文化におけるイオマンテ(熊送りとも呼ばれます)も、熊をはじめとした動物がカムイ(神)と位置づけられていましたから、神霊的な世界とつながるには動物が重要な存在だったのだと思われます。そして、動物を介して神とつながる行為・現象に精神医学の起源を見いだせるのかもしれません。
放送授業では、編著者の糸川昌成先生が沖縄のユタに会いに言った話が出てきます。その会話と結末は私には衝撃的で、科学的な研究のみで世の中を解き明かすのは難しいと感じざるを得ませんでした。放送大学生は是非聴いてみてください。
関連書籍
- 中村ユキ『わが家の母はビョーキです』『わが家の母はビョーキです2 家族の絆編』(サンマーク出版):家族の立場から見た統合失調症を描いたコミックエッセイです。統合失調症を温かみのあるイラストで表現されているだけでなく、とても勉強になります。
- 石丸昌彦『今日のメンタルヘルス〔新版〕: 健康 医療心理学の実践的展開(放送大学教材)』(放送大学教育振興会):石丸昌彦先生は放送大学で様々な授業を担当されていて、こちらの科目も大変オススメです。2026年度までは石丸昌彦先生、2027年度からは糸川昌成先生がご担当のようです。まさに、今回ご紹介した『精神疾患とその治療』とともに履修したい科目ですね。2023年度版について記事を書きましたので、宜しければお読みください。
- 倉光修『臨床心理学概論(放送大学教材)』(放送大学教育振興会):臨床心理を学ぶ方は、こちらを是非一読ください。臨床心理学の基礎が学べます。2020年度版について記事を書きましたので、宜しければお読みください。
最後までお読みいただき有り難うございました!
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